大判例

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福岡地方裁判所 昭和32年(ヨ)386号 判決

申請人 八木昇 外三名

被申請人 九州電力株式会社

主文

被申請人が昭和三十二年十月十五日、申請人横尾重雄、同馬場久仁夫及び同宮田保に対してなした解雇の意思表示の効力を停止する。

申請人八木昇の本件仮処分申請は、これを却下する。

申請費用中、申請人八木昇と被申請人との間に生じた部分は同申請人の負担とし、その余は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、当事者の求めた裁判

申請人ら代理人は、「被申請人が昭和三十二年十月十五日、申請人ら四名に対してなした解雇の意思表示の効力を停止する。申請費用は、被申請人の負担とする。」との判決を求め、

被申請人代理人は、「本件仮処分の申請をいずれも却下する。申請費用は、申請人らの負担とする。」との判決を求めた。

第二、申請の理由

申請人ら代理人は、申請の理由として次のとおり述べた。

一、(一) 被申請人は、福岡市渡辺通り二丁目三十五番地に本店を置き電力供給に関する事業を営んでいる株式会社(以下「被申請人会社」又は「会社」という)である。

(二) 申請人ら四名は、いずれも被申請人会社の従業員として雇傭され、申請人八木昇及び同横尾重雄は同会社佐賀支店佐賀営業所に、同馬場久仁夫は同支店佐賀営業所神埼営業所に、同宮田保は同支店営業課にそれぞれ所属していたもので(但し、申請人八木は衆議院議員就任につき昭和三十年二月から休職中であつた)、現在いずれも九州電力労働組合(以下「九州電労」という)の組合員であるが、昭和二十七年十二月当時には、日本電気産業労働組合(以下「電産」という)九州地方本部佐賀県支部の組合員で、申請人八木は同支部執行委員長、同横尾は同支部常任執行委員、同馬場は同支部執行委員、同宮田は同支部佐賀分会書記長の地位にあつたものである。

二、(一) ところで、被申請人会社は、昭和三十二年十月十五日付をもつて、申請人ら四名に対してそれぞれ懲戒解雇の意思表示をなしたが、その理由とするところは、

「申請人らは、昭和二十七年十二月中旬の争議期間中に、会社のスト中賃金立替払廃止に関連して、

I  昭和二十七年十二月十三日業務妨害指令を発して非組合員の賃金計算業務を妨害し、

II  同日、会社佐賀支店(以下単に「支店」ともいう)庶務課長山路芳雄、送電課長犬飼貞男及び発変電課長太田松亀内の三課長をかなりの長時間にわたつて監禁し、基本的人権を無視したような反人道的行為をなし、

III  同月十五日、賃金支払の告示書を破棄して会社の賃金支払業務に対する重大な妨害をなし、

IV  右告示書の破棄直後、支店経理課長吉田隆一、配電課長吉丸庄助及び前記山路、太田の各課長に対し暴行をなし、

V 更に同日、支店長鬼丸新以下各課長らに対し脅迫をなし、

VI  右脅迫に引続き鬼丸支店長に金融のあつせんを強要し、

VII  同月十七日、支店人事係長寺田明治及び労務係長久米文次に対し辞職を強要した。

これらの行為は、いずれも正当な争議行為の範囲を逸脱した不法行為であり、会社としては企業秩序維持のうえに看過できない非行である。しかも申請人らは、その後現在に至るまでも反省の色なく改悛の情は全く認められないので情状酌量の余地もない。よつて就業規則第六十二条第一項第五号第六十三条第五号を適用して申請人ら四名をいずれも懲戒解雇(就業規則の規定上は「懲戒解職」であるが便宜上「懲戒解雇」の語を使用する)に処する。」

というのである。

(二) ちなみに、就業規則第六十二条、第六十三条の規定は次のとおりである。

第六十二条 社員が次の各号の一に該当するときは賞罰委員会の審議を経てこれを懲戒する。

(1) 職務を著しく怠つたとき

(2) 会社の諸規程命令に違反したとき

(3) 会社の体面を著しくけがしたとき

(4) 故意または重過失によつて会社に重大なる不利益を及ぼしたとき

(5) その他特に不都合な行為があつたとき

2、前項の場合、会社に損害を及ぼしたときは、その全部または一部を弁償させることがある。

第六十三条 懲戒は次の五種とし、その軽重に従つてこれを行う。

(1) 譴責

(2) 減給

(3) 出勤停止

(4) 懲戒休職

(5) 懲戒解職

(三) なお、申請人らは、いずれも会社が懲戒解雇事由該当の事実として掲げている前記各事実のうち、IIの三課長監禁IVの暴行及びVVIの強要(脅迫を包括)の各事実につき佐賀地方裁判所に公訴を提起され、暴力行為等処罰に関する法律違反等被告事件として審理されていたところ、昭和三十二年九月二十五日、IIの事実につき無罪、IVの事実及びVVIの事実につき有罪として、申請人八木を懲役六月に、同横尾を懲役五月に、同馬場及び同宮田を各懲役三月に処し、いずれも一年間その刑の執行を猶予する旨の判決の言渡を受けたが、申請人らは右判決を不服として控訴の申立をなし、(検察官も控訴)、現在福岡高等裁判所において審理中である。

三、しかしながら、前記懲戒解雇は、次の理由により無効である。

(一)  本件懲戒解雇は、申請人らの正当な組合活動を理由とする不当労働行為である。

会社が懲戒解雇事由該当事実として掲げている前記IないしVIIの各非行事実は存在せず、当時会社側に対してなしたる申請人らの行為は、いづれも労働組合法上の正当な行為である。右は電産と電気事業経営者会議との間に、賃金改訂、新統一労働協約の締結を目的として、昭和二十七年九月十六日から始められた争議(同年十二月十八日妥結)中に、会社のスト賃立替払廃止に関連してなされた一連の行為であるが、当時の状況は次のとおりである。

会社においては、昭和二十五、六年以来スト賃立替払すなわち争議による労務不提供の部分に相当する賃金の差引(これを「スト賃差引」という)は、個々の組合員について一応差引くべきスト賃の計算はするが、個々の組合員より直接差引かず、スト賃と同額の金額を会社において立替補填して給料全額を支払い(これを「立替払」という)、争議終了後電産九州地方本部において会社本店にスト賃相当の立替金を一括支払い清算するとの慣行―少くとも争議中に支払われる給料よりスト賃の差引はしないとの慣行―があつたのであるが、会社は、前記争議の最重要段階である昭和二十七年十二月八日頃に至り右慣行を無視し、右慣行の廃止につき組合と団体交渉の手続も経ることなく争議の対抗策として突如、同月十五日支払分以降の給料よりスト賃を差引く旨を電産九州地方本部に通告してきた。そこで電産九州地方本部は、右通告の趣旨を下部電産各支部に連絡するとともに、「十五日給料全額支払について徹底的な団交を行え」「全事業所スト中賃金計算並びに差引業務を拒否せよ」と指令した。

当時申請人らの所属していた電産佐賀県支部においては、右会社のスト賃差引が実行される場合には、全組合員の三分の一近くの者は同月十五日支払分の給料支給額が零又は二千円以下となり、その他の者も相当手取額が減少するという状況にあつたので、右電産九州地方本部の各指令に基き強力に団体交渉を行うことになり、同月十二日、佐賀支店支店長室において、支店長鬼丸新、支店次長兼労務課長丸毛春生らとの間にスト賃差引の件等について団体交渉を開始し、「従前どおりスト賃の立替払をして貰いたい。もしそれができない場合には支店の準備金保管金を一時貸付けて貰いたい。それもできない場合には、融資のあつせんをして欲しい。」などと要求したのであるが、何ら結論をえないまま翌十三日引続き団体交渉することを約して別れた。そこで電産佐賀県支部組合員は、十三日も団体交渉をなすべく鬼丸支店長の出社を待つていたのであるが、同支店長は十二日における僅か一回の団体交渉をもつて事足れりとして爾後の交渉を回避し、丸毛次長とともに十三日以降出社せずその所在をくらましたのみならず、十三日には一旦出社した支店経理課長吉田隆一、営業課長古賀義弘、労務係長久米文次、人事係長寺田明治ら支店の労務管理及びそれに関連する幹部職員全員もまたそれぞれ同日夕刻までの間に行方をくらましてしまつた。

かくして、組合は、十二月十三日以来団体交渉の相手方を失うこととなつたのであるが、同日支店長次長が所在をくらましたことが判明するや、前記電産九州地方本部よりの指令に基き下部各分会に対し、スト賃差引業務のできないよう徹底的な団交を行えという趣旨の指令を出すとともに、同日出社した各課長らに対し支店長の所在を追及し且つその応援をも要請して極力支店長次長の行方を捜したのであるが、その所在が判明しない間に、前記のように同日出社したスト賃差引業務担当の課長、係長らも次々に姿を消し、残つたのは結局、庶務課長山路芳雄、送電課長犬飼貞男及び発変電課長太田松亀内の三課長のみとなつたが、右三課長は組合側に対する「義理立て」「附合い」「気兼ね」というような気持から自発的に同夜以降同月十五日まで引続き支店に居残り、その間組合側は、三課長に支店長の所在を追及したり団体交渉をしたりした。

同十五日の給料支払日に至り、吉田経理課長が給料支払のため出社してきたので組合側は、同課長やその日出社していた他の課長らに対し団体交渉を申入れ、支店長室において「スト賃の立替払をして貰いたい。それができなければ経理課長個人で銀行から金を借りて融通して欲しい。」などと善処方を要望し、再考を促すべく組合員らは一旦支店長室を引揚げていたところ、吉田課長らは、右要望に対する何らの回答もしないで、いきなり一方的に、「スト賃を差引いた給料を佐賀中央銀行松原分室で支払う」旨の告示書を支店長室外側大広間の壁にはつて掲示した。そこで組合側は、右のような課長らの態度にふんまんを感じ右告示書をはずしたうえ支店長室で吉田課長らを難詰したのであるが、その際、多数の組合員が詰めかけたため狭い支店長室は混雑し、また、たまたま大坪林三なる部外者が外部から入つてきたため一時混乱はしたものの、申請人らを含む組合員が吉田課長らに対して暴行するようなことはなかつた。

右の騒ぎがおさまつたのち、組合側は再度吉田課長らと団体交渉を始め、支店長次長の所在を追及したところその所在が判明し、十五日午後四時頃支店長は次長とともに出社してきた。そこで組合側は、当日が給料支払日であつたため出社していた約二百名位の組合員の守見るうちに、支店新館の大広間において、十二日に引続き支店長次長らと団体交渉をなしたのであるが、その席上においては、組合側は前記のような支店長の団体交渉の拒否という不当労働行為に対して不満を抱いていたので、組合幹部及びその他の組合員中より若干難詰的な言辞があつたけれども、これらはいずれも右不満の発露として宥恕しうる程度の些細なものであり、別に直接行動に出るというような状況は全然なく、むしろ、会社側は頑として当初の態度を変えなかつた。そこで組合側は、局面打開を計るため一時休憩することを提案したところ、鬼丸支店長は、丸毛次長の進言により自ら先頭に立つて別室の支店長室に入り、組合側代表三名と小委員会を開き、長時間にわたつて折衝した。右小委員会においては、組合側は当初「『会社は責任をもつて組合のため金融のあつせんをする』旨約束すること」を要求したのであるが、支店長の強硬な態度に譲歩を余儀なくされて、「会社は組合のため誠意をもつて金融のあつせんに協力する」旨の協定を締結することとし、その旨の協定書を作成したうえ交渉を終了した。しかし、組合側は、右協定では会社側が金融のあつせんをすると否とは支店長の任意であり、また組合が第三者より融資をうけることについて会社側があつせんするに過ぎないので、結局会社側の誠意に期待するほかなく不安であつたため、会社の退職者らに対し借金の申込をなすべく準備していたところ、翌十六日に至り予期に反して会社側は組合に対し金三百十八万余円を融資したのである。

なお組合は、同月十七日、久米労務係長と寺田人事係長に対し、その組合に対する無理解な態度について反省を求めたが、これは、両係長が十三日以来その所在をくらまして出社せずにスト賃差引業務に従事し、しかも支店長次長ら支店幹部に対し団体交渉拒否という不当労働行為を敢えてなさしめた陰の参謀であり且つ年末を控えた組合員千余名の生活を危険に陥れようとした発頭人であつたからである。

以上述べたところから明らかなように、本件懲戒解雇事由たる事実は全く存在せず、かえつて、申請人らがなした行為は、会社側のスト賃立替払の慣行の無視、支店長の団体交渉の拒否という不当労働行為に対する不満の発露であつて、いづれも労働組合法上の正当な行為である。

故に本件懲戒解雇はその刑事事件の第一審判決に藉口して、申請人等が組合の幹部であり且つ本件労働争議において強硬、熱心に組合活動をなした故を以てなされたものというべく、労働組合法第七条一号違反の不当労働行為というべきである。

(二)  本件懲戒解雇は、争議中の行為を理由とした違法がある。

元来使用者の懲戒権は、経営の秩序維持のためのものであるから、使用者の業務命令が有効に作用する平常時の企業運営の中で、懲戒の構成要件に該当する行為にのみ行使しうべきものである。従つて、使用者の業務命令が排除される争議期間中の組合員たる従業員の行為に対しては、使用者の懲戒権の行使は原則として排除されるべきものであり、たとえこれが認められるとしても、その場合は、当該行為が争議という非常時においてのみならず、平常時においても繰り返される虞があるというような特別の理由がある場合に限定されるべきである。

ところで、申請人らの行為は、前述のように争議中という異常な事態のもとにおいて、会社側の不当労働行為に対抗してなされたやむにやまれぬ行為であつて、偶発的且つ瞬間的な、しかも些細な行為に過ぎず、平常時において繰り返される虞は全くないのである。それ故、争議中の申請人らの行為について就業規則第六十二条第一項第五号を適用してなされた本件懲戒解雇は、就業規則の適用を誤つた違法なものとして無効である。

(三)  仮に、申請人らの行為が懲戒の対象となり就業規則第六十二条第一項第五号所定の懲戒事由に該当するとしても、懲戒解雇に値しない。

懲戒規定たる就業規則第六十三条は、前記の如く、懲戒の種類を五種とし、懲戒はその軽重に従つて行う旨を規定しているので、懲戒事由に該当する行為をその情状に応じて段階的に把握し情状の最も重いものを懲戒解雇に、然らざるものを順次懲戒休職、出勤停止、減給、譴責に処する趣旨であることは明らかである。

ところで、申請人らの行為は、前述のように争議という異常な事態のもとにおいて、会社側の不当労働行為に対抗してなされた偶発的且つ瞬間的な、しかも些細なものであつて、労働者にとつて極刑ともいうべき懲戒解雇に値するほど悪質重大な非行ということはできない。このことは、本件懲戒解雇が申請人らの行為を就業規則第六十二条第一項第五号の「その他特に不都合な行為があつたとき」に該当するものとしてなされたこと自体から明らかである。すなわち、同号の規定は、同条の他の条項と対比して一見明瞭なように、極めて附随的補足的ないわゆる雑件に属するような場合を、しかも「その他」とか「不都合」とかの文字自体より考えても前四号とは質的に異つた割合軽微な場合を規定しているので、同号に該当する行為は前四号との比較上懲戒解雇に値するような罪状の重いものとは認められないからである。

(四)  本件懲戒解雇は、懲戒解雇権の濫用である。

およそ懲戒の種類のうちで懲戒解雇は、従業員として反省の機会を与えることなく、完全に絶対的に企業から排除してしまうもので、従業員にとつては極刑ともいうべき最終処分であるから、特にその必要性について合理的理由の存在を必要とする。本件懲戒解雇の理由とされている申請人らの行為は、昭和二十七年十二月中旬すなわち本件懲戒解雇より約五年前になされたものであり、しかも、前述のように会社側の不当労働行為に対抗してなされたやむにやまれぬ行為であり、その間勢の赴くところ若干の行き過ぎがあつたとしても、その程度は極めて軽微であつて、殴打傷害等の直接行動はなく、争議中における、会社のストライキ対策に対する組合側の態度としては、それ程反社会的なものということができない程度のものであつて、争議という異常な事態のもとにおいて、団体行動に随伴し派生した偶発的且つ瞬間的な些細な行為に過ぎず、平常時において繰返される虞は全くない。一方、申請人らはいずれも長期にわたり会社に勤務してきたいわゆる生え抜きの電力マンであり、申請人八木は昭和十七年から、同横尾は昭和十三年から、同馬場は昭和二十二年から、同宮田は昭和十六年からそれぞれ勤務しているもので、最低十年から二十年間精勤し、それぞれ就業規則の定めにより、申請人八木は昭和三十二年九月に十五年勤続、同横尾は昭和二十八年三月三十一日に十五年勤続、同馬場は昭和三十二年七月十六日に十年勤続、同宮田は昭和三十一年十二月五日に十五年勤続の各永年勤続表彰をうけ、被申請人会社において年少時より育ち概ね半生にわたる長期間を会社事業に捧げ、電力事業を一生の仕事として愛し続けてきたものである、これらの事情からすれば、五年後の今日に至りかような申請人らを、前記のような争議中における些細な行為を理由として、しかも会社側の非を顧みることなく一方的に、申請人らを企業より排除するため労働者にとつて極刑ともいうべき懲戒解雇に処したのは、著しく信義誠実の原則に反し懲戒解雇権の濫用というべきである。

(五)  本件懲戒解雇は、労働協約及び就業規則所定の懲戒手続上の違反がある。

懲戒は、労働者の死活に関する重大な処分であるから、これが労働協約又は就業規則の規定する手続に違反してなされた場合には、当該処分は当然無効であるというべきところ、被申請人会社と九州電労との間の労働協約第十五条、就業規則第六十四条によると、懲戒は賞罰委員会の審議を経て行われねばならないのであるが、「賞罰委員会において懲戒の審議に付せられる者に対しては、会社はあらかじめ本人に通知し、その希望に応じ口頭または書面により、事実を説明しまたは参考物件を提供する機会を与え」ねばならず(労働協約第十五条第三号、就業規則第六十四条)、また「懲戒の審議にあたつては、あらかじめ組合に通知し、組合代表者の申出があれば、委員会の席上においてその意見をきくものとする」(労働協約第十五条第四項)と規定されている。そして、これらの規定は、会社は賞罰委員会が開催され懲戒の審議がなされる都度、その旨を本人及び組合に通知すべきことを要求しているものと解すべきであり、また実際の慣行においても、賞罰委員会が二回以上開催される場合にはその都度本人及び組合に通知がなされていたのである。

しかるに、本件懲戒解雇の手続については、会社においては昭和二十八年三月以来数回にわたつて賞罰委員会を開催し、昭和三十二年十月四日の同委員会で最終的結論に到達したとのことであるが、申請人ら及びその所属する九州電労に対し同委員会開催の通知がなされ、申請人ら及び右組合代表者が委員会に招致されたのは、右昭和三十二年十月四日の会議だけであり、それまでは、申請人ら及び九州電労に対しては勿論、申請人らが同年七月三十一日まで所属していた電産九州地方本部に対しても何ら通知がなされていないのである。

それ故、本件懲戒解雇は、その手続が労働協約第十五条第三、四項及び就業規則第六十四条の規定に違反してなされたものとして無効である。

四、仮処分の必要性

申請人らは、被申請人会社を被告として申請人らに対する本件懲戒解雇の意思表示の無効確認の本案訴訟を提起すべく準備中であるが、申請人らは何ら資産なく賃金のみによつて生計を維持している労働者であるため、本案判決の確定をまつていては、その間賃金の支払をうけられず、申請人ら及びその扶養家族の生活が著しく困窮し一家路頭に迷うに至ることは必至である。

よつて、申請人らは、右のような著しい損害を避けるため、本案判決確定に至るまで本件懲戒解雇の意思表示の効力を停止する旨の仮処分を求める。

第三被申請人の答弁及び主張

被申請人代理人は、右申請の理由に対する答弁及び主張として次のとおり述べた。

一、申請の理由一、二の各事実を認める。

二、(一) 申請の理由三の(一)の主張は争う。

本件懲戒解雇の理由たる申請人等の行為はいづれも違法行為である。

(1)  申請人らに対する懲戒解雇事由該当の具体的事実は、申請人ら主張のように、電産と電気事業経営者会議との間に賃金改訂新統一労働協約の締結を目的として、昭和二十七年九月十六日から始められた争議(同年十二月十八日妥結)中に、会社のスト賃立替払廃止に関連してなされた一連の行為であるが、その詳細は次に述べるとおりであつて、申請人ら主張事実中これと合致する部分は認めるが、その余の事実は否認する。

I 業務妨害指令について

電産中央本部は、昭和二十七年三月以降、賃金改訂新統一労働協約の締結を要求して電気事業経営者会議と交渉を続行してきたが、同年九月十日中央労働委員会の調停案を拒否し、九州においては、同月十六日以降電源ストをはじめとして強力かつ長期間にわたる争議を強行するに至つたため、被申請人会社としてはこの争議解決の見とおしがたたず、一方、会社は、同年五月以降スト賃差引の原則を一時中止しいわゆるスト賃立替払の措置をとつてきていたのであるが、この例外措置を繰返すことは経理援助という点で不当労働行為となる疑さえあつた。そこで、会社は、同年十二月八日社長名をもつて、同月十五日支払分以降の給料よりはスト賃の立替払をしない旨を電産九州地方本部に通告するとともに、労務部長名の通牒をもつてこの旨を会社各支店長宛に厳重示達した。これに対して同地方本部は、直ちに下部機関に対し「十五日給料全額支払について徹底的な団交を行え」「全事業所スト中賃金計算並びに差引業務を拒否せよ」との各指令を発した。

ところが、申請人八木を執行委員長他の申請人らを幹部組合員とする電産佐賀県支部は、同月十三日支部・アヤメ・ツバメ・五二号をもつて下部各分会に対し、「各分会とも、スト賃差引業務が出来ざるよう会社側を鑵詰にせよ。」と指令し、また現実にも、スト賃差引業務を命ぜられていた支店人事係長寺田明治、労務係長久米文次ら末端の非組合員の計算業務を妨害する意図をもつて、あえて右係長らを団体交渉に加わらしめ差引業務を妨害しようとした。すなわち右指令は、その文言の示す如く、単なる組合員の労務提供拒否にとどまらず、明らかに非組合員を鑵詰にしてその賃金計算業務を全面的に妨害することを企図し、これを命じたいわゆる業務妨害指令であつたのである。

II 監禁について

昭和二十七年十二月十二日、電産佐賀県支部よりの要請によつて同支部と会社佐賀支店長鬼丸新との間に開催されたスト賃差引に関する交渉において、鬼丸支店長は、組合側の意向を充分に聞き、スト賃に関しては支店長に権限がないこと、本店よりの厳重な指示であるから支店長に自由裁量の余地がなく組合の要求に応じられないことを説明し、右交渉を打切つたのであるが、その交渉決裂後鬼丸支店長が支店長室を退出しようとしたところ、申請人宮田は同支店長の足をとらえ「待て」と引き留めた。このことからも明らかなように、申請人ら組合幹部はあくまでも支店幹部を支店に留置して圧力を加える意図を持つていたのであるが、翌十三日組合員二十名程度の坐り込みによつて支店長室が占拠され唯一の会社直通電話を奪われる結果となつたため、鬼丸支店長及び支店次長丸毛春生は、会社本店及び管下各所長に対する連絡の必要上、別に連絡所を設けて支店には出社しなかつた。

ところが、申請人ら組合幹部は、なおも鬼丸支店長との交渉を強要し、同日(十三日)出社中の支店庶務課長山路芳雄、送電課長犬飼貞男、発変電課長太田松亀内及び人事係長寺田明治らを支店長室に呼び出し、ば到しつつ支店長の行方を詰問し、次いで右各課長に組合員を付添わせて支店長を捜索させたが、それでも支店長の所在が判らなかつたため、右山路、犬飼及び太田の三課長に対し支店に残留を強要した。そして、右三課長が同日午後十時過ぎ頃帰宅のため退出しようとするや、申請人ら(宮田を除く)は、他の組合員とともに三課長の前に立ちふさがり、申請人八木において「お前達は卑きようだぞ、帰ることはならん」と言つてこれを引き止め、以後は組合員をして三課長の脱出を監視させて三課長が同夜支店に残留することを余儀なくさせ、引続き、翌十四日(日曜日)も監視を続けて実質的に拘束し、同夜も支店に残留せしめ、遂に二昼夜にわたつて三課長を監禁状態においた。この申請人らの行為は、明らかに争議行為を逸脱した非行であり、三課長の基本的人権を無視した反社会的かつ反人道的行為である。

III 告示書の破棄について

同月十五日申請人ら組合幹部は、その日出社した各課長らを支部長室に呼び集めたうえ、経理課長吉田隆一に対し、組合側において作成した給料全額支払の伝票を示して「これに押印して小切手を切るか、又は個人でスト賃差引分を銀行から借入れてくれ。」と迫つたが、そのいずれも拒否されたので、申請人八木は「スト賃差引問題について再考せよ。」と云い残して組合員を支店長室より引揚げさせた。そこで課長らは、会社の既定方針どおりやろうと話合い、吉田課長において準備していた「十二月後期分の給料は佐賀中央銀行松原分室で支払う」の旨の支払場所変更の告示書を支店長室外側大広間の壁にびようではつて掲示したところ、一組合員がこれを発見し、電産佐賀県支部副執行委員長久米文夫がびようをはずそうとしたとき、申請人八木は「おれが責任を持つからこれを引き破れ。」と叫び、これに応じて申請人横尾が傍から右告示書を引き破り、他の組合員とともに支店長室に跳り込んだ。

右告示書の掲示は、当日が給料支払日であつたのに争議のため平常どおりの支払手続が不能となつたので、会社支店としてその支払義務を果すために吉田課長ら非組合員の手によつてなされたもので会社の業務の一である。それ故、申請人八木及び同横尾の右告示書の破棄は、従業員に給料を支払わんとした非組合員の業務を妨害した非行であり、会社に対する重大な業務妨害である。

IV 暴行について

右告示書の破棄に引続いて、申請人らは他の組合員とともに支店長室に乱入し、申請人八木は前記吉田課長の首を両手で締めあげ、申請人横尾は右吉田課長、前記太田課長及び配電課長吉丸庄助の肩を順次手で突き、申請人馬場は吉田課長の外套のえりをつかんでゆさぶり、申請人宮田は前記山路課長の上着のえりをつかんでゆさぶる等の暴挙をそれぞれ怒号しながらなした。

これは、申請人ら四名が互に共同して、会社支店の幹部であり上長である各課長らに対して暴行を加えたものである。

V 脅迫について

右暴行後、申請人八木は、告示書を丸めて捨てながら吉田課長らに非難の言を浴せ、申請人宮田は、告示書を踏みつけながら「警察が恐くて組合運動ができるか」と豪語して、スト賃差引に関する組合側の要求を容れるよう再考慮を促したが、課長らに拒否されたため、支店長の所在につき激しい追及を行つた。その結果、山路課長が申請人横尾らと支店長を迎えに行くことになつたのであるが、同課長が支店長室を出ようとした際、申請人馬場は「うまく逃げるようなことをしたら、今度は垂木が準備してあるから、足でもすねでもたたき折つてやる。」と脅迫した。このような状況下で、申請人八木は、居残つた吉田課長らに対し、支店長あてにスト賃差引問題に関し対策を講ずるよう歎願書を書けと威嚇し、筆と紙とを突き付けたので、右課長らは、暴行直後のことではあり、多数の組合員監視の中にあつてもしこれを拒めばどのような危難を受けるか判らないと考え、やむなくこれに応ずるに至つた。

さらに、鬼丸支店長、丸毛次長が山路課長らとともに支店長室に到着するや、申請人らは、これを押しやつて隣室の大広間に連れ出し、二百名位の組合員がすりばち状に取り巻き後方の者は椅子、机等の上に立つているという状況のもとで交渉をはじめたが、申請人八木は、支店長に対し聞くに耐えぬほどの私行にわたる暴言を吐き、申請人横尾、同馬場、同宮田らもこれにならつてばり雑言を加え、四名共同して支店長の自由身体名誉に危害を加えかねまじき気勢を示して脅迫した。すなわち申請人八木は、「鬼丸お前の赴任早々のあいさつによれば職場規律厳守のはずだつたが、朝は出勤が遅いし、夜は料理屋を飲み歩いている。遅れて来る時間の給料は差引いているだろうな。」「お前は長崎支店の庶務課長当時、組合の信任を失い平社員に転落しようとしたとき、佐賀支店に受入れてやつたのは、おれだぞ。」「組合の要求を容れないから血の雨が降るぞ。」などと言い、更には「お前には女がある。ここでばらしてやろうか。」「お前の娘は毎晩ダンスホールに通つているではないか。」「お前は下ばかり向いておれの眼を見きらんではないか。悪いことをする人間は人の眼を見きらないものだ。」とば到し、申請人宮田は「お前の顔は油ぎつて、てかてかしているではないか。待合から待合へ、料亭から料亭へ歩き廻つて御馳走ばかり食つているから、そんなになるのだ。」と云い、申請人馬場は「打ち殺せ」と叫び、申請人横尾は支店長の肩を突き右手を振り上げ殴打しようとした。

VI 金融のあつせん強要について

申請人らは右のように二時間余にわたつて鬼丸支店長に言語に絶する侮辱的脅迫的ば倒の言葉を浴せたすえ、畏怖の極に達した同支店長に対し、小委員会を待つことを強要して支店長室に押し込み、組合員はそのまま大広間に残して支店長室における協議の進ちよく状況に圧力を加えつつ監視するなど、先刻来の異常な脅迫につづいて心理的圧力を加え、ついに支店長をして事態収拾の唯一の方途としてやむをえず組合のため金融のあつせんに協力するよう約束せしめて義務なきことを行わしめた。このため吉田経理課長は、支店長の義兄たる社外人古賀俊郎より金三百十八万円を借り受け、翌十六日申請人八木に渡したのである。

VII 辞職強要について

前述のようにして、スト賃差引に関する紛争は一応落着をみたのであるが、申請人八木、同宮田は、他の組合幹部とともに翌十七日、勤務中の寺田人事、久米労務の両係長を組合書記局事務室に呼び出し、約百名位の組合員の取巻く中で両係長がスト賃差引業務に従事したことを難詰し、また両係長の行状その他に関し言語に絶するば言と中傷とを加え、ついに「お前などは辞めてしまえ。」などと云つて辞職を強要し、更に鬼丸支店長に対しても右両係長の辞職を要求した。これは、両係長の争議中における当然の職務行為に対し、組合員としてらちをこえた言動である。

以上要するに申請人八木は、当時電産佐賀県支部執行委員長として、その全般にわたつて指揮をなすとともに、自らも組合員の先頭に立つてそれぞれ事実行動の挙に出たものであり、

申請人横尾は、同支部常任執行委員として、申請人八木を補佐して組合員を扇動し、自らはIIの監禁IIIの告示書の破棄、IVの暴行、Vの脅迫、VIの金融あつせん強要の各非行をなし、

申請人馬場は、同支部執行委員(拡大執行委員)として、申請人八木、同横尾らを補佐して同様に組合員を扇動し、自らはIIの監禁、IVの暴行、Vの脅迫VIの金融あつせんの各非行をなし、

申請人宮田は、同支部佐賀分会書記長として、同分会組合員を指揮してIないしVII項にわたる暴挙をなさしめるとともに、自らはIIの監禁、IVの暴行、Vの脅迫、VIの金融あつせん強要VIIの辞職強要の各非行をなし、

それぞれ組合活動に藉口して企業秩序を破壊したものである。

(2)  会社側には何ら不当労働行為はない。その理由は、次のとおりである。

I スト賃立替払について

使用者は、労働者の労務不提供の部分については、労務の不提供が労働者の正当な争議行為の場合であつてもこれに賃金を支払わないのが原則である。(いわゆる「ノーワーク・ノーペイの原則」)。電気事業関係に於ても、昭和二十六年一月二十二日、電産と電気事業経営者会議との間に協定書(乙第五十一号証)が締結され、その九項(賃金の計算)に於てその原則が規定されて居り、また同年十月二十八日の改訂協約においても明確に定められている。すなわち、同協約の「賃金の計算」の条項、第十五条は「勤務時間中に勤務しない場合の賃金はこれを支給しないことを建前とし、病気等已むを得ない事由によつて賃金を差引かないとする場合は、賃金差引の計算とともに別に協議して定める。」と規定し、さらに昭和二十六年七月十四日の細目協定においては、「賃金を支払わない場合の一時間当りの金額は、次の算式によるものとする」として、各種の場合につき不払賃金の計算方法を規定している。

ところで、会社の賃金制度は、月給制で毎月一日及び十五日の二回にその月の賃金を二分して前払することになつているため、ストによる労務不提供があるときは、これに相当する分については過払いとなるので、次回の賃金からその過払分を清算することにしていたのである(いわゆる「スト賃差引」)。そして従来は、争議による労務不提供に対しては、争議中であると否とを問わず、スト賃を個々の組合員の賃金より直接差引いていたのであつたが、昭和二十七年四月頃、電産九州地方本部(以下「地方本部」ともいう)より会社に対し、「今回に限り各組合員に対するスト賃の差引額を組合員に貸付けてくれ。その総額を地方本部より一括会社に返還する。」旨の申入れがなされたので、会社は、地方本部が直ちに返還することを条件に、同年五月十五日の給料支払の際、争議参加者のスト賃を計算して差引き同額を貸付けること(いわゆる立替払)をした。その後同年七月十五日、十月十五日、十二月一日の各給料支払の際にも、その都度地方本部より執ような申入れがあつたため、右のような立替払の特別扱いをなした。これは九州地方本部からの要請によつて行われた異例な一時的措置であつたのである。

しかしながら、スト賃立替払分についての電産九州地方本部からの返済は遅れ勝ちであり、争議の激化及び長期化に伴いスト賃の額も同年十二月初旬までの合計が六千万円に達し、地方本部の返済能力が危ぶまれ且つこれを早急に返済する誠意もないことが明らかに看取されるに至つた。一方、地方本部はスト賃立替払によつてスト賃を失う不安を組合員より払しよくし、組合員に対してはストをしても賃金は全額受領できるのだと宣伝し、その負担を返済時まで会社に負わせる意図を有していることを示した。

他方、会社は、前記の如く三回に上る執拗な地方本部の申入により、その都度立替払の要求に応じて来たけれども、電産争議は炭労争議と共に漸次激烈の度を加えて来るし、同年十二月十五日のスト賃は地方本部関係全部で五、六千万円にも達し地方本部の返済能力が危ぶまれ、会社の負担において激化してゆくストを傍観することは不合理であり、またこのことが労働組合法第七条の「経理上の援助」の条項に触れることをおそれ、スト賃については、本来の姿である個々の組合員の賃金から差引くという従来の健全な慣行に引戻すことに決し、同年十二月十五日の給料支払日から実施することとして地方本部に通告したのである。

これを要するに、スト賃立替払(貸付)の措置は、電産九州地方本部との協定によるものでも、また慣行でもないのであるから、会社が一方的に右措置を廃止しうることは当然のことであつて、これを目して不当労働行為ということはできないのである。

II 支店長の団体交渉の拒否について

団体交渉の機関については、会社と電産との間の昭和二十六年一月二十二日(同年十月二十八日改訂)の労働協約第十九条及び同条に関する覚書に次のように規定されている。

第十九条 会社又は電経会議と組合とが行う団体交渉の機関は左のとおりとする。

一 組合分会とそれに対応する会社側機関

二 組合支部とそれに対応する会社側機関

三 組合地方本部とそれに対応する会社側機関

四 組合中央本部と電経会議

2 交渉は、その内容に応じ最も適当とする交渉機関において行う。

但し、この協約の全部又は一部の改訂に関する事項及びこの協約に定めのない従業員の全般に関する主要な労働関係については、組合中央本部と電経会議との間において交渉を行うものとする。

覚書

1 第二項の場合において団体交渉の機関の決定について意見の不一致は苦情処理機関に附さない。

2 団体交渉においては双方とも権限ある責任者を代表者としてこれにあたらせ、団体交渉の円滑な促進を図るものとする。

従つて、従来会社側機関の長の権限に応じて、それぞれの機関において団体交渉が行われたのが慣行である。

しかして、スト賃の問題は、本来会社本店の所管事項であるから、仮に本件について団体交渉を行おうとすれば、会社本店と九州地方本部との間においてなされるのが正常な形であり、スト賃に関しては、支店長には権限がないのであるから、支店長に電産県支部との団体交渉に応すべき義務もない。然るにこれを強要することは不当である。しかも鬼丸支店長は、激烈の度を加えつつあつた電産の電源ストに対する対策で忙しい最中に、昭和二十七年十二月十二日は一日中、組合とのスト賃に関する交渉に応じ、その間組合の意向を聴き、スト賃に関しては支店長に権限がなく本店からの指示により支店長に自由裁量の余地がないため、組合側の要求に応じられないことを充分説明し、且つ本店にもこの経過を連絡したのであるから、同支店長としては、電産佐賀県支部との交渉には充分誠意を尽したというべきであり、さらに交渉を継続しても結果は同一であることは明白であつたのである。また当時組合側は支店長にスト賃の問題を処理する権限がないことを充分知りながら、しやにむに鬼丸支店長にスト賃を払はせようとし、その態度は交渉の域を越え正に脅迫の様相を呈していた。翌十三日以降右問題について交渉を継続すること自体、本店の指示に反する措置を強要されるおそれが濃厚であり、前述の指令、支部・アヤメ・ツバメ・五二号に基く実力行使により鑵詰にされ、本店との連絡さえしや断されかねない緊迫した情勢下にあつたのである。

それ故、鬼丸支店長がスト対策を講ずるため昭和二十七年十二月十三、十四日とスト対策本部を一時支店外に置き、支店に出社しなかつたのは、むしろ緊急避難的な時機に応じた適切な措置ともいうべきであるから、これを捉えて団体交渉拒否による不当労働行為というのは該らない。

(二) 申請理由三の(二)の主張は争う。

労働法上認められた組合の正当な行為の範囲を逸脱した行為については、その時期が争議期間中であるからといつて、懲戒上の責任を免れ得る理由はない。けだし、争議行為に端を発するという理由によつて、いかなる反規範的行為も認容されるべきであるということはできず、また争議行為として許容されうる限度は、争議の指導その他正当な行為のみであるからである。しかして、組合の正当な行為の範囲を逸脱した不当な行為については、それがいやしくも会社従業員の行為である限り懲戒の対象となり就業規則に照して処断されるのであつて、組合役員たる従業員といえども何ら一般の従業員と異なるところはないのである。

そして、申請人らの前記各行為は、懲戒事由を規定した就業規則第六十三条第一項各号のうち、第五号の「その他特に不都合な行為があつたとき」に該当する。

(三) 申請理由三の(三)の主張は争う。

申請人らは、就業規則第六十三条第五号の懲戒解雇(職)に値する。

就業規則第六十三条第一項第五号の「その他不都合な行為があつたとき」とは、懲戒の対象となるべき行為が、その内容において同項第一号ないし第四号までに規定する非行と同程度の場合を定めたものであるが、申請人らは、前述のようにスト賃差引に関する紛争において中心的な役割を担つて行動したもので、その行為は、いずれも組合の正当な行為の範囲を逸脱した不当な行動であり、会社企業の存立、企業秩序の維持上看過しえない非行であつて、特に会社が公益事業であるだけに、この秩序をみだす行為は単に企業的立場のみならず社会的見地からも容認しえないものである。

それ故、申請人らの行為は前四号にもまして重大な懲戒事由を構成するというべきところ、申請人らには刑事事件の進行過程においても、また会社の賞罰委員会における説明によつても、何ら改悛の情は認められなかつた。かかる従業員を公益事業たる会社組織内にとどめおくことは、将来における会社の業務運営上大きな不安の因子を残すこととなるので、会社が企業の自衛措置として、さらには他戒の意味も加えて、かかる存在を組織外に排除することは当然必要なことである。

そこで、会社は、申請人らに対し、就業規則第六十二条第一項第五号、第六十三条第五号を適用して本件懲戒解雇をなしたのである。

(四) 申請の理由三の(四)の各事実のうち、会社が申請人横尾、同馬場及び同宮田の三名に対し永年勤続表彰をなしたことは認めるが、その余の事実を否認する。

右永年勤続表彰は、会社が就業規則及び永年勤続表彰規定によつて行うものであつて、一般表彰とは本質を異にし、賞罰委委員会の議を経ることなく、社員が十年、十五年、二十年、二十五年、三十年、三十五年、四十年の勤続年数に達した月をもつて、それぞれ表彰状及び副賞金を与えることになつているものである。この場合、受賞の資格を欠く者は、授賞当時の被懲戒者のみと定められており、一応すべての在籍社員に対し所定の勤続年数到達のみを条件としてひとしく与える総花的授賞の性格をもつものであるから、この永年勤続表彰の故をもつて、ただちに当該受賞者が職務に対し忠実に精勤したものであるということはあたらないのである。

申請人らは、事件発生以来、組合専従者又は国会議員(申請人八木)として会社業務には従事しておらず、従事したとしても完全に職場に復帰したのは昭和三十二年七月以降のことである。

(五) 申請の理由三の(五)の主張を争う。

懲戒手続に関する労働協約第十五条第三項第四項及び就業規則第六十四条の規定の趣旨は、被審議者に対しては事実の説明をなさしめる機会を組合に対してはその意見を開陳せしめる機会をそれぞれ与えることにあり、且つその与えられるべき機会は、その審議を行う時であることを要し両者に対する予告もまたその審議を行うに先立つてなされなければならない旨を規定しているのであつて、調査段階にある各回の委員会開催の都度、その機会を与えなければならないという趣旨ではない。

ところで、本件懲戒に関する賞罰委員会の経過は、昭和二十八年三月に第一回の委員会を開催して以来七回にわたる委員会においてその事実についての調査を行つたのであるが、特に本件の異例且つ重大性にかんがみ慎重を期し、佐賀地方裁判所における刑事事件の公判の推移をも見つつたえず事実関係の確認につとめ、昭和三十二年十月四日開催の委員会において最終の決定を見るに至つたのであるが、会社は、昭和三十二年十月四日開催の委員会において審議に入るに際し、前記労働協約及び就業規則所定の手続として、被審議者たる申請人ら四名の事実説明とその所属組合たる九州電労の代表者三坂満一の意見陳述を聴取したうえ、慎重に審議を行つて懲戒解雇の処分を決定したのであつて、本件懲戒解雇には労働協約及び就業規則所定の手続に違反した廉はない。

三、本件仮処分の必要性はない。

申請人らの所属する九州電労は、昭和三十二年十月二十四日の第四十八回常任執行委員会において、「被告団四名の生活保障については、最終決定を見るまでは取りあえず仮払金として従来どおりの給与を全額支払う」旨の決定をなしているので、申請人らが本件懲戒解雇により一家路頭に迷う窮状に陥ることは、現実には全く考えられない。なお、申請人八木は、本件懲戒解雇前より衆議院議員の地位にあつて(昭和三十年二月当選)、議員の歳費をうけ会社の賃金の支給をうけていなかつたものであるところ、本件懲戒解雇後の昭和三十三年五月二十二日施行の衆議院議員選挙にも当選し、現在同議員の地位にあつて歳費をうけているのである。それ故、申請人らには仮処分の必要性は全くない。

以上のとおりであるから、本件仮処分の申請は、その理由も必要性もないものとして却下せらるべきである。

第四、被申請人の右主張に対する申請人らの認否及び反駁

申請人ら代理人は、被申請人の主張に対し次のとおり述べた。

一、会社が徴戒解雇事由該当の事実として掲げている事実のうち、

Iの業務妨害指令について

被申請人の主張事実中、電産九州地方本部が下部機関に対し「十五日給料全額支払について徹底的な団交を行え」「全事業所スト中賃金計算並びに差引業務を拒否せよ」と指令したこと、電産佐賀県支部が昭和二十七年十二月十三日支部・アヤメ・ツバメ・五二号をもつて下部各分会に対し「各分会ともスト賃業務の出来ざる様会社側を罐詰にせよ。」と指令したことは認めるが寺田人事係長、久米労務係長らをスト賃差引業務妨害の意図をもつて団体交渉に加わらしめたこと及び右支部・アヤメ・ツバメ・五二号が非組合員による賃金計算業務の全面的妨害を企図したものであることは否認する、その余の事実は知らない。

支部・アヤメ・ツバメ・五二号は斗争指令ではなくて一般指令であつて(なお斗争指令はサクラ、アヤメは一般指令、ツバメは確認を要するの意の符合)、電産佐賀県支部が右指令を発したのは、昭和二十七年十二月十三日午前十一時三十分すなわち鬼丸支店長以下支部幹部が故なく団体交渉を拒否して行方不明となつたことが判明した後であつて、その文意は前記電産九州地方本部よりの指令の「徹底的な団交を行え」との趣旨を組合用語の慣例に従つて用いたものに過ぎず、決して非組合員を監禁してその賃金計算業務を妨害すべきことを指令したものではないから、地方本部の指令の範囲を逸脱し不当な行為を指示したものということはできない。

IIの監禁について

昭和二十七年十二月十二日の団体交渉は、決して激烈なものではなく、その終末においても鬼丸支店長は翌十三日の団体交渉継続を肯定し、組合もまた当然交渉が続行されるものと信じていたのである。従つて申請人宮田が支店長の足をとらえて引き留めたということは有りえないことである。また十三日の午前中には何ら支店長室坐り込みの指令はなされておらず実際にも坐り込みは行われていなかつたのであるから、会社の直通電話を奪われたということもなかつたのである。

組合側が支店長の団体交渉拒否という不当労働行為に対抗して会社幹部に支店長の行方所在を質問することは当然のことであるが当日は出社した課長らのうち若干の者に自発的に支店長の心当りを尋ねて貰つたのである。勿論その際組合員が監視として課長らに付添つて行つたことはない。

なお、山路、犬飼及び太田の三課長は組合側に対する「義理立て」「附合い」「気兼ね」というような気持から自発的に支店に居残つたもので、これは、年末を控えてスト賃を差引かれると、全従業員の三分の一近くの者が給料が赤字又は零ないしは極度に削減されるという切迫した従業員の窮状をよそにして支店長次長ら会社主脳部が全員所在をくらましている際、幹部の一人として支店に居残り応急の連絡をとろうとすることが常識から考えても当然なことであつたからである。右三課長が支店に居残つていた間も何ら監禁状態になかつたことは警察官が来てもその救助を求めず新聞記者が来た際には救助を求めるどころかかえつて「うるさい」と感じていたこと、しかも自宅や食堂など社外に対して自由に電話することができたことなどからも明らかである。

IIIの告示書の破棄について

昭和二十七年十二月十五日はあたかも給料支払日にあたり、組合員としては十三日以来支店長次長経理課長ら会社幹部全員が姿をみせず全く誠意を示さないので困惑していた際吉田経理課長が出社したので、同課長に対し団体交渉をもつて懸案の解決方を要望したところ同課長も組合側の「前進のため協議して貰いたい」との申出を肯定して休憩に入つたのに拘らず、急拠卒然として告示書をはつたのである。すなわち、組合としては仮に組合の要望が拒否されるにしても一応口頭の説明ないしは回答がなされることを期待していたのであり、また条理上からもそれが妥当な態度であつたにも拘らず、いきなり問答無用の態度で告示書をはつたのである。

かかる刺戟的非常識な態度に対し組合側が若干の不満を感じたのは事実であるが申請人八木や同横尾が右告示書を引き破つたというようなことはなかつたのである。もつとも当時多数の組合員が給料支払日であつたため支店に来ていたので、右のような告示書を見たならばますます紛糾が拡大することを慮ばかり、これを静穏にはずしたのは事実であるが、当時は電産九州地方本部よりの指令の趣旨にかんがみ、組合員は一人としてスト賃を差引かれた給料を受領しないという態度がはつきりしていたのであるから、右告示書一枚をはずしたとしても何ら給料支払業務を妨害したことにはならないのである。そもそも会社にとつてそれ程重大な告示書であるならば支店入口その他の正規の掲示板に掲示するのが当然であつて、それ以外の屋内の片隅になされた掲示は会社の正規の掲示とはみることのできないものである。

IVの暴行について

電産佐賀県支部副執行委員長久米文夫、申請人八木、同横尾らがその順序で支店長室に入室した際、同室内には吉田経理課長を中心として山路庶務課長犬飼送電課長太田発変電課長小出佐賀営業所経理係長吉丸配電課長広滝土木課長らが狭い室内にストーブを囲んで円形状に着席していたのであるが、右三名の者らが一番奥の吉田課長の前まで行くには、これら課長とストーブとの中間を通つて行かねばならなかつたため、その間無意識のうちに誰かに手がさわつたかもしれないが、これは暴行をしたのではない。

ことに申請人八木の吉田課長に対する暴行と目されているのは、同申請人らが他の組合員とともに支店長室に入室後同課長に対し一言二言発言している最中に後から酒に酔つた部外者の大坪林三なる者が詰めかけた組合員を押し分けて支店長室にちん入し、ストーブと支店長の机の中間を通つて、同課長の前に並んで立つていた申請人八木と久米副執行委員長の両肩を後から強く押し分けて両手を拡げながらどつかりと吉田課長の左隣りの空椅子に倒れるように腰をおろしたため、その反動で申請人八木は左斜前の同課長の側に倒れそうになり同時に大坪の拡げた右手が隣りの吉田課長の頸部にあたつたのである。それで吉田課長や他の目撃者らは、あたかも申請人八木が同課長の首を締めあげたかのような錯覚を感じたかもしれないが、右のように全く事実無根である。

なお、右大坪林三については、組合員がこれを発見するや直ちに順送りに室外に押出したのであるが、その際多少の混乱が起つたので、その間申請人ら又は組合員の手が吉田課長その他在室の課長達に無意識のうちに触れたかもしれないが、これも決して故意に暴行を加えたものではないのである。

Vの脅迫について

申請人八木は告示書を手にしたことはなく、申請人宮田は大坪林三が室外に押出される頃ようやく支店長室に入つてきたものである。歎願書については、吉田課長自ら筆をとつて起案し各課長もこれに署名したのであつて、申請人八木が無理矢理に書かせたものではない。

次に、支店長、次長が支店に来たのは会社に「出勤」したものであるが、支店長らが到着するや、申請人八木ら組合幹部は直ちに支店長室内で「貴方方が逃げ隠れしていたことについては追及しない。」と前置したうえで、穏かに団体交渉に入つたのである。ところが前述のようにたまたま当日が給料支払日で多数の組合員が支店に参集しており、これらの組合員が数日間雲隠れしていた支店長らが初めて姿を現わしたので、期待と一種の好奇心にかられて、右支店長室内の交渉を傍聴しようとしたが、あまりに声が小さいので、大広間で団体交渉してもらいたいと要請したため、これに応じてまず組合側が大広間に椅子を配置し、(支店幹部には特に来客用の大型椅子を配置した)支店長以下各課長らも快よく右要請を容れ、支店長は自ら先頭に立つて大広間に移つたのである。

そして、大広間においては会社側及び組合幹部は整然と相対して椅子に着席し、正規の団体交渉の様式に従つて交渉を進めたのであるが、この態度は支店長室及び大広間を通じて一貫していた。すなわち、大広間に相対して着席するや、組合側は直ちに団体交渉の議題に入り、スト賃立替払或いは金融のあつせん更には本店に同行しての陳情方などを要求し、これに対し支店長よりそれぞれ応答がなされたのである。なお、右団体交渉における支店長の態度は十二日の団体交渉における態度と全然変らず極めて強硬であり、自己の雲隠れについても一言のあいさつもなかつたので、この間組合幹部ないしは組合員より多少の難詰的言辞があつたとしても、これは支店長の団体交渉拒否という不当労働行為に対するやむをえざる人情の発露であつて決して脅迫というが如きものではなかつた。これを要するに、右は正常な団体交渉であつたのである。

VIの金融のあつせん強要について

被申請人の主張事実中、組合が昭和二十七年十二月十六日吉田経理課長より金三百十八万余円の交付をうけたことは認めるが、その余の事実は争う。

前記大広間における団体交渉は十五日午後四時半頃より同六時前頃までの一時間あまり行われたに過ぎず、その間支店長らは頑として組合の要求を聞き容れない態度を固持し、組合側が局面の打開を計るため休憩を提案したのに対し、支店長はそれすら必要でないというほどであつたが、丸毛次長の進言により自ら先頭に立つて次長とともに隣室の支店長室に入つたのである。そして十四、五分間支店長次長は同室内で協議のうえ、次長が組合側の久米副執行委員長を名ざしして呼び小委員会の委員に指定したので、同副執行委員長は一応申請人八木らにこれを報告し、会社側が二名だから組合側も二名が妥当であるとして岩永副執行委員長兼書記長を加えて入室し、極めて穏かに小委員会が開催されるに至つたのである。

右小委員会においても最初はやはりスト賃の立替払についての交渉がなされ、次第に金融あつせんの問題に移つたのであるが、組合側は会社が「責任をもつて」組合のため金融のあつせんを要求したのに対し、会社側は「誠意をもつて」の文言を固持して一歩も譲らなかつたため、結局組合側が譲歩し「会社は組合のため誠意をもつて金融のあつせんに協力する。」旨の協定を締結することとしその旨の協定書を作成したのである。そして右協定に達したのは、同日午後七時半頃であつて小委員会開催後約一時間三十分以上を要しているのであり、しかもこの間一広間の組合員は極めて静粛に小委員会の結果を待つていたのである。

しかも「強要」という以上相手方に「義務なきこと」をなさしめることが、その構成要件の一つとして必要であるところ、従業員は使用者より賃金の支払をうける権利があるから、使用者に対しいかなる方法によるにせよ、他から金を工面させて賃金の支払をなさしめることは「義務なきこと」をなさしめたことには該当しないのである。これを本件についてみるに組合員たる従業員は従来スト賃立替払の慣行により給料全額の支払をうけていたのであるから、会社が右慣行に反し組合とスト賃差引について交渉せずに、一方的認定によつてスト賃を差引いた額を支給しようとする場合、組合員が給料全額の支払をうけうるように会社に対して従来どおりの立替払或いはこれに代る金融あつせんを要求し、これをなさしめることは、権利でこそあれ断じて会社に「義務なきこと」をなさしめたことには該当しないのである。ことに、法理上からみても少くとも昭和二十七年十一月十六日より同月末日までのスト賃については不当利得返還請求権とみるよりほかなく、これを翌月分たる同年十二月十五日支払の給料より控除することについては労働基準法第二十四条の規定上労働組合等との書面による協定を要するのであるから、これに反してなされる会社のスト賃差引に対抗して前記のような要求をなすのはまさしく権利行使ともいうべきで会社に「義務なきこと」をなさしめたことには該当しないといわなければならない。

VIIの辞職強要について

前述のように組合側は、昭和二十七年十二月十三日以来スト賃に関して団体交渉を継続すべく待機していたのに、支店長次長ら会社支店最高主脳部のみならず経理課長営業課長人事係長労務係長ら労務並びにこれに関連する幹部全員が団体交渉を拒否してスト賃差引業務をなすべく行方をくらましたのである。そのため組合員のこれらの人々に対する不満は無理からぬことであつたが、特に久米、寺田の両係長は右団体交渉拒否という不当労働行為をあえてなさしめた陰の参謀であり且つ年末を控えた組合員千余名の生活を危機に陥れようとした発頭人と目される人物で、しかも十三日支店長を探しに行くといつて支店を出たまま姿をくらまして出社せずにスト賃差引業務に従事し、十五日には支店長次長さえ出社したのになお出社せず、ようやく十七日に至つて出社して来たのである。そこで組合は同日右両係長に対しその会社並びに組合双方に対する不誠実につき反省を促したのであるが、これはあくまでも将来における労使関係の円満な進行を所期したものであつて組合が両係長に対し私憤を抱いていたためでは毛頭ない。それ故これを目して辞職強要ということはできないのである。

二、争議当時の電産佐賀県支部の役員としては支部執行委員長(一名)申請人八木昇、副執行委員長(二名)久米文夫及び岩永正、書記長(一名)岩永正(兼任)がおり、その下に常任執行委員(二名。申請人横尾重雄はその一員)執行委員(通称拡大執行委員)(十八名。申請人馬場久仁夫はその一員)がいた。このことからも判るように、正副執行委員長及び書記長が同支部における主脳部であつたのである。それ故常任執行委員たる申請人横尾、拡大執行委員に過ぎない申請人馬場、その傘下の佐賀分会の書記長に過ぎない申請人宮田は、何ら指導的役割を演じていたのではないのである。

そこで申請人八木をのぞく各申請人毎に、前記IないしVIIの事実に該当すると目されているものについてみるに、

申請人横尾はIIの監禁と目されているものについては、十三日夜三課長に対し別に発言したことがなく、IIIの告示書の破棄と目されているものについては関知せず、Vの脅迫と目されているもののうち、歎願書云々の際は申請人宮田とともに支店長を料亭「小町」に迎えに行つていた留守中のことであり支店長次長の出社後も交渉の際別に発言しておらず、VIの金融あつせん強要と目されているものについても、協定書の文言についてむしろ譲歩を余儀なくされた位であり、

申請人馬場は、拡大執行委員として支部規約に基き二ケ月に一回会議に出席することはあるが、通常は職場にあつて会社業務に従事する者であり、本件当時も十三日午後職場分会からの派遣により坐り込み員として支店に来て居合わせたに過ぎず、すべての場面について積極的役割を演じたものでははく、IIの監禁と目されているものについては、むしろ親切に三課長に食事の心配をしてやつただけであり、

申請人宮田は、佐賀分会長であつて直接支部に関係がないからIの業務妨害指令と目されている指令の発出については全然関知しないものであり、IIの監禁と目されているものについては、十三日夜支店に居なかつたので何ら関与せず、IVの暴行と目されているものについては、大坪林三が支店長室から押出される頃ようやく支店長室に入室したものであつて、これに関与せずVの脅迫と目されているものについては歎願書云々の場合は申請人横尾とともに支店長を迎えに行つた留守中のことであり支店長次長出社後の交渉の際にも別に具体的な発言は何らしておらず、VIIの辞職強要と目されているものについても具体的行動は何らいうべきものがないのである。

三、前記「スト賃立替払の慣行の無視」「支店長の団体交渉の拒否」が不当労働行為であることについて以下説明する。

I  スト賃立替払について

被申請人主張の労働協約第十五条の規定はノーワーク・ノーペイの原則を定めたものではなく、実際の適用においても、数日ないし十数日欠勤してもその月分の給料からは何ら差引を受けず、期末手当において若干の考慮が払われていたに過ぎないのである。

ところで、電気事業における争議行為は、他の産業に比し極めて技術的且つ多岐にわたり、実際上スト賃差引の対象となる該当者、該当時間を決定することは極めて困難で、会社が一方的にこれを認定すれば当然賃金の引過ぎという事態が発生し、さらにこれに関する紛争を惹起するのが実情であつたため、概ね昭和二十五年頃より何回か行われた争議においてスト賃の差引はいずれも争議中にはこれを実施せず争議終了後、その都度会社本店と電産九州地方本部との話合で差引をなしていたのである。そして右いずれの場合もスト賃差引基準の適用、差引の対象人員及び時間等の決定にあたつては、会社側と組合側とがあらかじめ双方において調査した各資料を持ち寄つて照合し折衝したうえで差引くべきスト賃を決定していたのであり、またたとえスト賃の計算をしても、個々の組合員より現実にスト賃の差引は行わず、差引くべきスト賃と同額の金額を会社において立替補填して給料全額の支払(いわゆるスト賃の立替払)をなし、後日地方本部において会社本店にスト賃相当の立替金を一括して返済していたのである。

すなわち、スト賃の立替払は、被申請人主張のように昭和二十七年五月、七月、十月、十二月一日の四回のみなされたものではなく、昭和二十五年以来なされていたものであつて、労使間における慣習とさえなつていたのである。

右のように会社と電産(九州地方本部管内)の間においては相当期間(被申請人の主張によつても昭和二十七年五月から同年十二月一日までの六ケ月間に四回)にわたつてスト賃の立替払の措置がなされ慣習とさえなつていたのであるから、会社側がこれを廃止するためには本来団体交渉をもつて組合側に申入れるべきであつたのである。

それにも拘らず、会社は前記争議中に突如団体交渉を経ることなく一方的にスト賃立替払の措置を廃止して、スト賃を組合員各人の給料より差引く旨を通告し、これを強行しようとしたのであるから、これは明らかに不当労働行為といわなければならない。

なお、被申請人は、スト賃立替分の電産九州地方本部よりの返済が遅れがちであつたと主張するのであるが、当時立替金の返済期限については別に定めがなかつたけれども、地方本部は昭和二十七年四月十八日終了の争議の立替分については同年七月七日に、同年七月分給料よりの差引立替分については同年十一月五日にそれぞれ返済しているのである。しかも、スト賃については争議終了後会社本店と地方本部との折衝により大体の総額を決定し、しかるのち組合側は全国プール計算により算定した組合員一人当りの全額を分会支部を通じて地方本部に集約しこれを会社本店に支払うのであるから、この間東京の電産中央本部より九州各県の分会に至るまでしばしば連絡をとらねばならないため相当の日時を要し、この間数ケ月を要することは当然のことであるから、このことをもつて「早急に返済する誠意もない」とは断じていえないのである。

また、被申請人主張のように昭和二十七年十二月初旬までのスト賃の合計額が金六千万円となつたかどうかについては申請人らは知らないが、仮にそうであつたとしても、争議終了後は年末期末の手当ないしはその後の給料(一ケ月総計三億数千万円)等により充分返済する能力があつたのである。

なおまたスト賃立替払が労働組合法第七条第三号の「経理上の援助」とならないものであることは明らかであつて、むしろ被申請人のいうかかる事情はスト賃立替払の措置廃止が争議の対抗策であつたことを紛飾するための口実に過ぎない。

II  支店長の団体交渉の拒否について

被申請人は「本来スト賃の問題は会社本店の所管事項であつて支店長に何ら権限がないから、これについての団体交渉は会社本店と電産九州地方本部との間においてなされるのが正常な形であり、支店長に電産県支部との団体交渉に応ずべき義務はない。」と主張するのであるが、賃金が会社本店から支店にきて支店長が賃金の支払をしているという事実に即してこれをみるとき、その賃金の紛争につき、組合はその現実の支配者たる支店長と団体交渉することは当然のことである。のみならず、支店長は支店に関する限りいわば会社の窓口ともいえる立場にあるのであるから、支店の従業員としては、支店長を通じて賃金その他自己の利害に関する事項につきこれと交渉しうるのも当然であつて、支店長としては、これらの事項につき妥結の権限があるか否かは別として一応誠意をもつて交渉にあたり組合の意向のみは充分に聴取すべく、また自己に権限がなくともその意見を本店に具申して処断を仰ぐことは可能であるから、団体交渉に応ずべき義務があつたのである。

当時、組合員は年末を控え且つ大幅なスト賃差引がなされようとしていたため焦慮し、しかもスト賃差引の日時も同月十三日(土曜日)、十四日(日曜日)、十五日(給料支払日)という切迫した状況下において、支店長が同月十二日のただ一回の交渉をもつて足れりとするが如きは全く不当な措置であつた。そもそも団体交渉は提案、再提案、考慮、協議等の過程が繰り返し行われるのが常識であり、その間誠実に少くとも数回は行われることを要するのである。

それ故、鬼丸支店長が団体交渉をただの一回だけで打切り、以後行方をくらまして団体交渉を拒否したのは不当労働行為というべきである。

四、被申請人は「賞罰委員会を事実調査と審議とに分け、調査段階においては委員会開催の都度被審議者等に説明意見具申の機会を与える必要はない」旨主張するけれども、むしろ事実調査の段階こそもつとも重要であつて、その後のいわゆる審議はその事実調査の結果いかんによつて左右されることが大きいのであるから、調査段階に参加せしめず、最終の審議段階に形式的に参加の機会を与えるだけでは、到底被懲戒者本人並びに組合の権利利益を保障したものとはいえないのである。

五、仮処分の必要性について。

被申請人主張のように、申請人らが現在九州電労より給与の仮払をうけていることは認める。しかしながら右給与は、被申請人主張の決定によつても明らかなように「取りあえず」の「仮払金」であつて、その性質は一時借用金で申請人らの債務の累積を意味し、それが継続することは到底忍ぶべからざる脅威である。しかも、本件懲戒解雇によつて申請人らの受けつつある損害は、単に物質的面のみでなく、有形無形の種々の関係においてはなはだしい不利益が生じているのである。すなわち、社会的には信用を失い、家庭的には不安と不和を醸成しているが如きはその一例である。なおまた、申請人八木が本件懲戒解雇前より衆議院議員の地位にあつたこと及び本件懲戒解雇後の昭和三十三年五月二十二日施行の衆議院議員選挙で当選し現在同議員の地位にあることは被申請人主張のとおりであるが、いつ解散によりその地位を失うに至るか予測しえない。

のみならず、申請人らは被申請人会社よりその従業員たる資格に基いて各種貸付金を借受けているのであるが、右貸付金は従業員の資格がある場合は会社貸付金規程の定めにより無利子低利にて五ケ年ないし十五ケ年の長期にわたる月賦返済により遂次返還する便宜が与えられているところ、申請人らは本件懲戒解雇によりこの便宜を受ける資格を失つたので、直ちに被申請人会社より貸付金返済の督促を受け、その後も再三にわたり、厳重な督促を受けているのであるが、申請人らはこれを一時に返済する資力がなくて困却しており、また申請人らは本件懲戒解雇により被申請人会社の従業員たる資格を奪われ、健康保険の被保険者たる資格を喪失し(健康保険法第十八条)、健康保険法の適用から除外されたので、申請人ら及びその家族が従来受けていた疾病に際しての保険給付を受けることができなくなつてしまつた。

よつて、申請人らが現在九州電労から給与の仮払を受け、申請人八木については衆議院議員の地位にあるとはいえ、なお本件仮処分の必要性は存在するのである。

第五、疎明関係〈省略〉

理由

一、被申請人が福岡市渡辺通り二丁目三十五番地に本店を置いて電力供給に関する事業を営んでいる株式会社であること、申請人らは、いずれも被申請人会社の従業員として雇傭され、申請人八木及び同横尾は同会社佐賀支店佐賀営業所に、同馬場は同支店佐賀営業所神埼営業所に、同宮田は同支店営業課にそれぞれ所属していたもので(但し、申請人八木は衆議院議員就任につき昭和三十年二月から休職中であつた)、現在いずれも九州電力労働組合の組合員であるが、昭和二十七年十二月当時には日本電気産業労働組合九州地方本部佐賀県支部の組合員で、申請人八木は同支部執行委員長、同横尾は同支部常任執行委員、同馬場は同支部執行委員、同宮田は同支部佐賀分会書記長の地位にあつたものであること、並びに会社は、昭和三十二年十月十五日付をもつて申請人らに対しそれぞれ懲戒解雇の意思表示をなしたが、その理由とするところは、本判決事実摘示中の申請の理由二の(一)に記載のように、「申請人らが七項目にわたる非行をなしたので、就業規則第六十二条第一項第五号、第六十三条第五号を適用して懲戒解雇に処する。」というのであつたこと、なお就業規則第六十二条及び第六十三条の規定が右申請の理由二の(二)に記載されているとおりであること、については当事者間に争がない。

二、ところで、申請人らは、右懲戒解雇は無効であると主張するので以下判断する。

(一)  まず、申請人らは、「会社が懲戒解雇事由該当の事実として掲げている事実はいずれも存在せず、本件懲戒解雇は申請人らの正当な組合活動を理由とする不当労働行為であつて、無効である。」と主張する。

1、会社が懲戒解雇事由該当の事実として掲げている申請人らの行為が、電産と電気事業経営者会議との間に、賃金改訂、新統一労働協約の締結を目的として、昭和二十七年九月十六日から始められた争議(同年十二月十八日妥結)中に、会社のスト賃立替払廃止に関連してなされた一連の行為であることは当事者間に争がないので、まず右スト賃立替払廃止の問題が発生するに至るまでの経緯及び本件争議の経過についてみてみよう。

当事者間に争のない事実(後記のように該当個所において示す)に、成立に争のない乙第三号証の二(申請人らに対する刑事事件の第一審第二回公判調書中証人鬼丸新の供述記載部分)、……(中略)……申請人八木昇、同横尾重雄、同馬場久仁夫及び同宮田保(第一回)の各本人尋問の結果を総合すれば(但し、以上掲記の疎明のうち後記信用しない部分を除く)、次の事実を認めることができる。

(スト賃差引・スト賃立替払の実情)

元来電産における争議中の賃金について、労務不提供の部分につき現実に賃金を差引くとの慣行が労使間に確立されたのは昭和二十五年頃からであるが、電産と電気事業経営者会議各配電会社との間に昭和二十六年一月二十二日締結された労働協約において、「勤務時間中に勤務しない場合の賃金は支給しないことを建前とする」旨協定されてこれが明文化され、次いで、同年七月十四日には右協約に基いて賃金差引の計算方法その他賃金の取扱に関する協定がなされ、差引の具体的計算方式が一応確立された。しかしながら、電気事業における争議行為は、他の産業に比し極めて技術的且つ複雑多岐にわたるため、争議による労務不提供に相等する賃金の差引(いわゆるスト賃差引)については、当初より差引基準は勿論、差引の対象及び時間等の決定について労使間に紛争が生じがちであつたので、被申請人会社と電産(九州地方本部管内)との間においては、労政当局よりの勧告もあつて、昭和二十五年頃から昭和二十六年頃にかけて幾度か行われた争議についてスト賃差引は、いずれも少くとも争議中にはこれを実施せずに賃金全額を支払い、争議終了後、その都度会社本店と電産九州地方本部との話合で、具体的差引基準、差引くべき給料支払日等を決定したうえ、個々の組合員の給料よりスト賃の差引をなした。そして右のように幾度かの争議を経て漸次スト賃差引基準についても両者間に自らルールができつつあつた(前記のように昭和二十六年七月十四日の協定により、スト賃差引計算の方式は一応確定されたのであるが、その後もなお、いかなる態様の争議行為を差引の対象とし且つ争議時間のうちどれだけを労務不提供相当の時間と評価するかなど具体的差引基準については決定する必要があつたのである)。ところが、昭和二十六年十二月四日妥結した争議の際のスト賃については、会社本店と電産九州地方本部との話合により、争議に参加した者も参加しなかつた者も、組合員すべてから概算で一律に五百五十円宛を同月二十五日支給の本格賃金から会社側が差引き、後日両者の間で精算された。次いで、昭和二十七年に至り、会社本店は、地方本部の要請を容れ、同年五月より、争議に参加した個々の組合員について差引くべきスト賃の計算はするが個々の組合員より現実にスト賃の差引を行わず差引くべきスト賃と同額を会社において立替補填して給料の全額を支払い(いわゆる立替払)争議終了後、地方本部よりスト賃相当の立替金を一括して返済をうけて清算することとし、以来同月十五日より始めて、同年七月十五日、十月十五日、十二月一日と四回にわたり右の方法によりスト賃の差引がなされてきた。そして右いずれの場合も、スト賃差引基準の具体的適用、差引の対象人員及び時間等の決定にあたつては、会社の支店、営業所変電所等の各現場において、会社側と組合側とがあらかじめ双方において調査した各資料を持寄つて照合し折衝したうえで、会社側において差引くべきスト賃(前記四回の立替払については厳密にいえば組合より返済すべき各個人分のスト賃立替金)を決定していた。

以上要するに、会社と電産(九州地方本部管内)との間においては、スト賃の立替払は昭和二十七年五月十五日以降同年十二月一日までの間に四回にわたつてなされただけであるが、スト賃差引が行われるようになつた昭和二十五年以降右昭和二十七年十二月一日までの間は、スト賃差引の方法態様について種々の変遷があつたとはいえ、少くとも争議中に支払われる給料から個々の組合員がスト賃を現実に差引かれたことはなかつたのである。

(会社は、電産九州地方本部にスト賃立替払の廃止を通告した)

ところで、電産九州地方本部より会社本店に対するスト賃相当の立替金の返済状況は、電産がスト賃については組合員全員で均等に負担するといういわゆる全国プール計算制をとつているせいもあつて、昭和二十七年五月十五日立替分が同年七月七日に同年七月十五日立替分が同年十一月五日に支払われるという具合で、会社側の予期に反して返済が遅れた。しかも電産は、同年九月十六日以来前記争議の実力行使として自動車運転拒否、文書発受信拒否、上部連絡遮断、電源スト、完全職場放棄などをなし、争議も漸次強化され長期化してきた。そして争議の長期化にともなつて組合員のスト賃差引分も増大し、同年十二月十五日さらにスト賃の立替払をなすにおいては、電産九州地方本部管内全部で、会社の立替金が五、六千万円にも達するという状態であつた。

そこで会社は、会社の負担において激化してゆく右争議を傍観することは不合理であり、また、このことは労働組合法第七条第三号の「経理上の援助」として不当労働行為に該当するおそれがあることを理由に争議の対抗策としてスト賃立替払の措置を廃止して個々の組合員よりスト賃を差引くべきことを決意するに至つた。そして会社は、前記認定のようなスト賃差引についての従来の慣行に反して、争議中の同年十二月八日、本店労務部長名の通牒をもつて各支店長に対し、「今後は従来行つたスト中賃金の立替払を止め、各人毎に計算し各人の給与より差引け。昭和二十七年十一月二十一日以降十二月五日までのスト中賃金は十二月十五日支払の賃金より差引け。なお認定基準は従来どおりとする。但し、乗用自動車運転拒否は勤務すべき全時間上位連絡遮断は実情に応じて最高を二分の一とする。」旨を指示し、同時に、本店社長名をもつて電産九州地方本部にスト賃の立替払を廃止する旨を通告した(会社がスト賃の立替払を廃止する旨を通告したことについては当事者間に争がない。)

(電産九州地方本部は、下部各支部に対し「徹底的な団交を行え」と指令した)

右通告をうけた電産九州地方本部は、下部電産各支部に対し、右通告の趣旨を連絡するとともに、昭和二十七年十二月九日午前八時十五分、アサヒ・アヤメ・ツバメ・二五号(アサヒは地方本部、アヤメは一般指令、ツバメは確認を要するの意の符合)をもつて、「十五日給料全額支払について徹底的な団交を行え。」と指令し、続いて同日午後一時十分、アサヒ・サクラ・ツバメ・四五号(サクラは斗争指令の符合)をもつて「全事業所スト中賃金計算並びに差引業務を拒否せよ」と指令した(地方本部が下部電産各支部に右のような各指令を発したことについては、当事者間に争がない。)右上部指令をうけた電産佐賀県支部においては、右会社のスト賃差引が現実に実行されれば、全組合員の三分の一近くの者は同月十五日支払分の給料支給額が零又は二千円以下の少額となり、その他の者も相当手取額が減少するという状況下にあつたので、同支部執行委員長の申請人八木や同横尾ら支部常任執行委員は、同月十日午前九時四十分支部・アヤメ・ツバメ・四七号をもつて、下部各分会に対し「十五日給料全額支払について徹底的な団交を行え。」と指令し、翌十一日、会社佐賀支店長鬼丸新に対し「『スト賃差引その他』につき明十二日団体交渉を行いたい。」旨を申入れた。

(昭和二十七年十二月十二日電産佐賀県支部は、会社佐賀支店長と団体交渉をもつた)

鬼丸支店長も右団体交渉の申入を受諾したので、翌十二日午前十時頃より、会社佐賀支店新館支店長室において、会社側は鬼丸支店長、支店次長兼労務課長丸毛春生、労務係長久米文次が出席し、組合側は申請人八木、同横尾ら支部執行委員に申請人宮田ら同支部佐賀分会の執行委員も出席して、団体交渉が行われたのであるが(十二日団体交渉が行われたことについては当事者間に争がない)、会社側は、その席上はじめて前記会社本店よりの通牒の趣旨を正式に組合(以下電産佐賀県支部及び同支部佐賀分会№ケて単に「組合」ともいう)に通告した。そこで組合側は「年末が迫つている時期にスト賃を差引かれては困るし、十五日の給料支払日までに、差引基準の適用、スト賃の具体的認定等について、従来の慣例に従い支店側と資料を持ち寄つて照合及び話合いをしこれを確定することが困難なことは、従前の例に徴して明らかであるから、従来どおり立替払をして貰いたい。もしそれができないなら、支店の準備金又は保管金を一時貸付けて貰いたい。それもできないなら、支店側において組合に融資のあつせんをして欲しい。」などと繰返し要求したが、支店長は、「本店の厳重な指示であるから、いずれもできない。」とこれを拒否した。申請人八木、同横尾ら組合幹部は、意外に支店長の態度が強硬なので、同日午後三時頃、支部・アヤメ・ツバメ・五〇号をもつて下部各分会に対し、「各分会は十三日正午より坐り込み要員として二名宛支店に派遣せよ。」と指令して斗争態度を強化するとともに、十二日午後も引続き午前同様交渉を続けたが、支店長は午前に変らず強硬に組合の要求を拒否し続け、同日午後七時半頃、「ことスト賃に関しては支店長に権限はないから団体交渉は打切る。」といつて、組合側の「明日も是非団体交渉を継続して貰いたい」旨の申入れに対しても明確な返答をしないまま帰宅してしまい、同日の団体交渉は結局もの別れとなつた。

(十二月十三日。支店長、次長らは団体交渉を拒否して出社しなかつた)

しかしながら、翌十三日は、土曜日で日曜日(十四日)を狭んだ十五日(月曜日)の給料支払日を控えていたため、申請人ら組合幹部(申請人馬場を除く)は、早急にスト賃差引問題を解決したいと前日の団体交渉の継続を期待して鬼丸支店長の出社を待つていたが、支店長の出勤が遅いので、同日午前九時過ぎ頃、支部副執行委員長久米文夫が支店長の自宅に電話し、「組合は昨日の問題で今日も団交しようと待つているから至急出社願いたい」旨を伝えたところ、同支店長は、「スト賃差引問題についてなら、私には権限がないから団交しても仕方がない。県庁方面に廻つて行くから出社は昼頃になるだろう。」と答えて電話を切つたので、申請人らは支店長の出社を待機していた。ところが、鬼丸支店長は、丸毛次長とともに、十二日夜すでに、組合側が徹底的団体交渉実施のために、場合によつてはその圧力によつて支店長らを団体交渉の場所に釘付けにして引き留めるかもしれない、という情報をえていたので、十三日午前九時頃より営業課長古賀義弘、庶務課長山路芳雄らと相談のうえ、組合側の激しい団体交渉をさけてスト賃差引業務を遂行するとともに、会社本店営業所、発電所等と争議の連絡をするため、居を佐賀市内の松本屋旅館に移してこれを会社側のスト対策本部とした。そして、同日正午頃から翌十四日夜まで同旅館に投宿して支店には出社せず、非組合員に対してスト賃差引業務の指示をしていた。

(同じく十二月十三日。組合は、支店長の所在を捜すとともに指令、支部・アヤメ・ツバメ・五二号を発した)

一方、申請人八木、同横尾、同宮田ら組合幹部は、自ら或いは組合員をして支店長、次長の所在を捜させるとともに、同日朝出勤した支店労務係長久米文次、経理課長吉田隆一、人事係長寺田明治、佐賀営業所経理係長小出照二らに対し、「支店長が出勤しないが、どこにいるか捜して貰いたい。」と頼み、同課長係長らは同日午前十時頃から前後して出掛けたが、久米労務係長はスト賃差引計算をするために、吉田経理課長は支店長次長と同行するためにいずれも姿を消してしまい、小出経理、寺田人事の両係長は、「支店長の所在は判らなかつた」といつて一旦は支店に帰つてきた。その頃、支店発変電課長太田松亀内、送電課長犬飼貞男、庶務課長山路芳雄らもそれぞれ出勤したので、申請人八木らは、これら課長を支店長室に呼び「支店長はどこにいるか知らないか。」「給料の差引計算はどこでやつているか。」などと尋ねたが、いずれも知らないと答えるのみであつた。かようにして、支店長、次長がその所在をくらまし出社しないことがほぼ確実となつてくるや、申請人八木、同横尾ら組合幹部は漸次焦慮し始め、支部常任執行委員会で決議したうえ同日午前十一時三十分、支部・アヤメ・ツバメ・五二号をもつて下部各分会に対し、「一、各分会ともスト賃業務のできざるよう会社側を鑵詰にせよ。二、十五日スト賃差引分の給料を払おうとしたときは、全員(差引かれた者も差引かれなかつた者も)取りあえず受領を拒否せよ。」と指令した(電産佐賀県支部が下部各分会に対し指令、支部・アヤメ・ツバメ・五二号を発したことについては当事者間に争がない)。そして同日正午頃になつて、山路庶務課長、犬飼送電課長、寺田人事係長に支店長の行方を捜して貰いたいと頼み、同課長らをして市内を捜させたが、寺田係長はスト賃差引関係の書類等を持つて出たまま帰らず、山路、犬飼の両課長は、いずれも「判らなかつた。」といつて午後二時半頃相前後して支店に帰つてきた。また、組合員も手わけして市内各所を捜したのであるが、支店長の所在をつきとめることはできなかつた。

同日正午頃からは、前記坐り込み指令に基き下部各分会から次々と坐り込み要員が支店に出て来て、申請人馬場もその一員として来たのであるが、その数は十数名に達しいずれも支店新館支店長室に坐り込んだ。

同日午後五時半頃に至り、申請人八木ら組合幹部は、犬飼、太田の両課長に、「もう一度支店長を捜しに行つてくれ。」と頼み、両課長は、組合員数名に伴われて支店長次長のいそうな旅館、料理屋などを捜し廻つたのであるが、支店長次長の行方は全く判らず空しく支店に引揚げてきた。ところで、申請人ら組合幹部は、同日は午前中より、会社側の各課長、係長らが支店長次長の所在を知つており、また支店長から支店にいる課長らに何らか連絡もあるに違いないと考え、「支店長次長が来て話がつくまでは支店に居て貰いたい」と要請していたのであるが、前記のようにスト賃差引業務担当の課長、係長らは次々と支店より姿を消し、同日午後八時頃には、またもやスト賃差引業務担当の小出佐賀営業所経理係長も来客にかこつけて支店より姿を消してしまい、結局支店には、会社側としては山路庶務犬飼送電及び太田発変電の三課長だけとなつてしまつた。

(同じく十二月十三日夜から十五日にかけて、三課長は支店に居残つた)

そこで右三課長は、支店長次長が出社せずまたスト賃差引業務に関係のある各課長係長らも次々に姿を消したことに憤慨している組合員らに気兼ねして、支店新館大広間(支店長室の隣室)の庶務課長事務机附近に火鉢を囲んで空しく坐つていたが、同日午後十時頃に至り帰宅しようと相談のうえ、山路課長が支店長室で坐り込みを行つていた申請人八木、同横尾、同馬場ら組合員に対し、「いつまでいても支店長の行方は判らないし仕方がないから帰る」旨を告げた。ところが申請人八木は、「なに、帰る」と云いながら大広間に出て来て山路課長らの前に腕組みして立ち塞り、支店長室の組合員らに対して「中の者はどうしているか。早く出て来い。」と呶鳴るとともに、三課長に対し「大体会社はなつておらん、朝から一人減り、二人減り次々に姿をくらまして誠意がない。これ以上お前達が逃げたら誰が残るか。我々はこうして分会からも支店に大勢詰めかけて来ているではないか。我々も苦しい立場ではないか、我々の立場が判らんか。支店長次長がいないなら庶務課長が会社の代表だ。帰つたら承知せんぞ。」と云い、この間、申請人横尾、同馬場を含む坐り込み中の組合員二十名位も大広間に出て来て、机と机の間の通路、窓際の通路等に立ち一見ピケを張つたような態勢になつたので三課長は帰宅を断念し、そのままその場の椅子に腰をおろした。その後三課長は、しばらくの間大広間にいたが、ストーブのある隣の支店長室へ行き椅子に腰掛けて坐り込み中の組合員とともに仮眠して同夜を明かした。そして翌々十五日朝まで、昼間は大広間で庶務課の机を囲んで坐し、夜は支店長室で仮眠して過したのであるが、その間自宅その他との電話連絡は自由であり、食事も組合で準備したのを食べないかとすすめられたが、これを断り電話で外部の食堂より取寄せて食べた。

ところで、右三課長が支店に居残ることになつた十三日夜以来、申請人八木ら組合幹部は組合員に対して三課長の動静を監視させるとか、支店の表門、裏門に見張を立たせる等のことはしなかつたし、ことに十四日は申請人宮田を含む組合幹部も終日支店長次長の行方を捜すため殆んど外出し、坐り込み中の組合員も自由に市内に遊びに出たりしていて支店内は閑散であつたが、三課長の坐つていた庶務課事務机附近は支店長室と組合書記局事務室との間の通路にあたり組合員の往来が繁しく、また新館の外の広場にも組合員が立廻つていたので、三課長は、多数の組合員が自己らを監視しているものと考え、昼間は勿論、夜間も全く脱出を試みることなく打ち過した。のみならず、十四日昼頃には新聞記者が争議の状況取材のため新館大広間に三課長を訪ねてその写真まで撮影し、さらに、同日午後十時頃には三名の私服の警察官が右大広間に来て三課長に対し、身分を告げて「貴方方は会社側ですか。組合側はどこですか。」と尋ねたうえ、争議の状況や食事、用便等のことについても聞き、約十分間も居たのであるが、三課長ともこれに救助の依頼もせず、警察官らも右三課長がさして困つた様子でもなかつたので、これを救出しようともしなかつた。

(十二月十五日。申請人八木、同横尾は、吉田課長が掲示した給料支払場所変更の告示書を破棄した)

十二月十五日給料支払日に至るや、組合側は、同日午前八時半頃出勤した小出佐賀営業所経理係長を支店長室に呼び、次いで午前十時半頃吉田経理課長が給料支払のため出勤するや、「団交をしましよう。」と云いながら同課長を支店長室に連れて行き、申請人八木同横尾らは、他の組合員とともに「お前は支店長の所在を知つているだろう。」「今日は会社の最高幹部としてここに出席したのだから、本日の給料支払にあたつては従来どおりスト賃の立替払をしてくれ。」「組合で計算した給料計算書と振替伝票に判を押して小切手を切れば、すぐ出来ることではないか。」「会社の金を一時貸してくれ。それが出来なければ経理課長個人で銀行から金を借りて融通してくれ。」などと要求したが、同課長は「私は給料支払の責任者として来た。他の事については一切権限はないからできない。給料は銀行で支払う。」と頑強に拒否したので、当日出社していた広滝土木課長、吉丸配電課長及び十三日夜以来支店に居残つていた前記山路、犬飼、太田の三課長をも支店長室に呼んだうえ、同日正午頃、申請人八木は右課長ら全員に対し、「他の課長にも責任がある。二十分休憩するから、なんとか事態解決のため組合の立場を考えて、課長全員で協議してくれ。」と申し向けて、申請人ら組合幹部及び坐り込み中の組合員全員支店長室を引揚げたしかし、右課長らは、いずれも「協議の余地はない。会社の既定方針どおりやろう。」と話合い、吉田課長があらかじめ準備してきていた「昭和二十七年十二月後期分の給料は佐賀中央銀行松原分室で同月十五日午前十時半から午後三時までに支払う。」旨の支払場所変更の告示書を取り出して、「これを掲示しなければ労働基準法違反になる」と云つたので、他の課長らもこれを掲示することに賛成した。そこで吉田課長は、組合側に課長らの協議の結果を全く知らせることなく、一方的に右告示書一枚を支店長室の外側大広間の壁にはつて掲示した(吉田課長が告示書を掲示したことについては当事者間に争がない)。

ところが間もなく、これを見つけた組合員の知らせにより申請人八木、同横尾は、予期に反した吉田課長らの仕打ちに久米副執行委員長らとともに激こうして、組合書記局事務室から新館にかけ込み、同副執行委員長が右告示書のびようをはずそうとしたところ、申請人八木は「おれが責任を持つからそれを引き破れ。」と叫び、これに応じて申請人横尾は傍らから右告示書を引き破つた。

(同じく十二月十五日、申請人らは吉田課長らに暴行を加えた)

そして、申請人八木、同横尾、久米副執行委員長らを先頭にし、これに一足遅れて申請人馬場、同宮田らが他の組合員二十数名とともにこれに続き、先頭の申請人八木らにおいて口々に「お前達は何だ。これが協議の結果か。」「組合をあまりなめるな。」などと怒鳴りながら支店長室にかけ込み、申請人横尾は吉田、吉丸、太田の各課長の肩を順次手で突き、申請人八木は「前進のための協議の返答がこれか。」と云いながら、吉田課長の首を両手で押しあげ、申請人宮田は山路課長の上衣のえりをつかんでゆさぶつたのち「警察がこわくて組合運動ができるか」と云い、申請人馬場は吉田課長の外とうのえりをつかんでゆさぶり、口々に「誰がはつたか。組合をなめたか。」などと前記課長らの仕打をののしつた。

なお、その直後、もと会社の多久変電所長であつた定年退職者の大坪林三が酒気を帯びてたまたま大広間に来合わせ、右支店長室の騒ぎを聞きつけて支店長室に入り、吉田課長の左側空椅子に坐つて申請人ら組合員に「上司に向つてそんなに乱暴に荒々しく云わなくても良いではないか。」と云つてなだめようとしたところ、組合員らは「部外者だ。つまみ出せ。」と云いながら順次後方の組合員に渡して室外に送り出してしまつた。

(同じく十二月十五日。申請人らは吉田課長らに支店長の所在を追及した結果、その所在が判明するに至つた)

かようにして、吉田課長らに対する前記の暴行騒ぎがひとまずおさまるや、申請人八木は、吉田課長らに対し、「十分間休憩するから、スト賃差引に関する組合側の要求についてもう一度考え直して善処するよう協議して貰いたい。」旨再考を促して他の組合員とともに支店長室を引揚げた。そして組合員らは、新館前の広場で自転車行動隊が福岡市の会社本店に向けて出発するのを見送つたりなどした。かくして、一時間も経つてから、申請人らは、他の組合員とともに支店長室に入り、協議の結果を発表してくれと要求したが、課長らは、「いかんともしがたい」とこれを拒否したので、「それなら支店長の所在を教えてくれ。」ときびしく追及した。そこで、山路課長が隣席の吉田課長に「支店長の居る処を知つていないか。」と尋ねたところ、吉田課長は、名刺の裏に「小町」と書いてこれを山路課長に示したため、同課長の後方にいた組合員がこれを見つけ、支店長が料亭「小町」にいることが組合員らに知れてしまつた。そこで、吉田課長は「おれが行こう。」と云つたが、組合員らは「吉田はまた逃げるぞ」と云い、結局山路課長が申請人横尾、同宮田らに伴われて支店長を迎えるため佐賀市水ケ江町の料亭「小町」に行つた。

その後で、申請人八木らは、居残つた吉田課長らに対し、「とにかく、スト賃差引問題に関して支店長に歎願書を書いてくれ」と執ように要求し、「歎願書はいらんじやないか。支店長はすぐ見えるから、話せば良いではないか。」と云つて書くことを渋る同課長に、紙、すずり、すみ、筆をつきつけるようにして、「文句が判らないなら教えてやるから書け」と申し向けたため、遂に吉田課長は、「お願、局面打開のため組合員の立場を考え何らかの手を打つて下さい。」という支店長宛の歎願書を書き、他の各課長係長らもこれに署名した。

(同じく十二月十五日。申請人らは、支店長と団体交渉したが、その際支店長を脅迫した)

支店長を迎えに行つた山路課長、申請人横尾、同宮田らは、十五日午後四時半頃、支店長次長を支店新館に同行してきた。

ところで、当日は給料支払日であつたため、組合幹部及び坐り込み要員のほか、多数の組合員が出勤し、これらの組合員は右新館内に詰めかけ、その数は二百名位に及んでいたのであるが、支店長次長が支店長室に入り着席するや、申請人八木は、早速、支店長に対し、「十二日の団交の続きをやります。支店長が行方をくらましていたことについては不満であるが、何も追求はしない。」と前提して、「組合員が困つているから、従来どおりスト賃の立替払をして貰いたい。それができないなら支店長において組合のため金融のあつせんをして貰いたい。」などと十二日の団体交渉の場合と同様の要求を繰り返したが、支店長は、「本店の指示だからいずれもできない。支店長の権限外だからどうにもならない。」と前同様に拒否した。その頃大広間に詰めかけていた組合員の中より「支店長の声が小さい。大広間に引き出せ。」と叫ぶ者があり、多数の組合員も同調して口々に「出ろ出ろ」と云つたので、支店長ら会社側も申請人ら組合執行部役員も支店長室から隣室の大広間に移つた。

そして、支店長、次長及び各課長らと申請人八木、同横尾、同宮田を含む組合執行部員が相対峙して着席し、申請人馬場を含む前記二百名位の組合員がこれを摺鉢状に取り巻き、後方の者は椅子、机等に上つて立つているという状況のもとで団体交渉が始められたのであるが、申請人八木は、前同様に「従来どおりスト賃の立替払をして貰いたい。それができないなら会社の金を貸して貰いたい。それもできないなら組合のため融資のあつせんをして貰いたい。」「組合員が困つていることを本店に陳情して欲しい。」などと約二時間にわたつてしつこく要求したが、支店長も前同様「本店の指示であるからできない。」「支店長に権限のないことだからできない。」と強硬に拒否し続けた。しかしながらその間、支店長の強硬な態度に憤慨した申請人横尾は、立上つて支店長の肩をつかみ手を振り上げて殴りかかろうとし、申請人八木は、右申請人横尾を制止したが、自身も支店長の態度に憤慨するに及んで、「お前の支店長就任のあいさつは、職場規律の確立ということであつたが、お前の勤務状況はどうだ。朝は遅く会社に出て来て午後は三時頃に帰る。その間の働かん賃金は取らんだろうな。」「お前が長崎支店時代に組合から追放されて平社員に落ちそうになつたとき、佐賀支店に受入れてやつたのは、このおれだぞ、その恩義も忘れておれの云うことをちつとも聞かん。」「お前には女がある。女と関係しているではないか。我々の要求を拒むなら、ここでばらしてやろうか。」「組合員は年末を控えて困つているのに、支店長の家はぜいたくな暮をしている。支店長の娘は、毎晩遅くまでダンスホールに行つているではないか。」「あくまで本店の既定方針に従つてスト賃を各人の給料から差引くことを強行するなら、今晩家に帰ろうと思つたら間違いだぞ。本当に血の雨が降りますよ。」などとののしり且つ脅し、申請人宮田は、「お前の額は油ぎつて、てかてかしているではないか。待合から待合へ、料亭から料亭へ歩き廻つて御馳走ばかり食べているからだ。」などと云い、取り巻く組合員らも口々に「馬鹿野郎」「おいこら、鬼丸顔をあげろ。」などと野次を飛ばし、中には「打ち殺せ。」と呶鳴る者もいるという状態で、鬼丸支店長の身体、自由又は名誉に害を加えかねない気勢を示して脅迫したのである。

(同じく十二月十五日。右団体交渉より小委員会に移行し、金融あつせんの協定に達した)

かくするうちに、申請人八木が吉田課長、小出係長らに対し、「支店長が来る前に、お前達が支店長に云うと云つたことを云え。」と申し向けたところ、他の組合員も「あの時云つたのはうそだつたか。」「そんなに支店長がこわいのか。」などと申し向けたので、小出係長が支店長に対し、「支店長や会社側に済まないと思いますが、組合が手を尽してできないので、なんとかしてくれと云つているのだから、個人としてなんとかできませんか。」と歎願した。それでも、支店長は何らの提案もしなかつたが、申請人八木が「小委員会を持とうではないか。」と提案したところ、丸毛次長が支店長に「やむをえないから小委員会を持とうか。」と耳打ちして、支店長次長は支店長室に引揚げたので、同日午後六時半頃、そのままの態勢で自然休憩に入つた。間もなくして、支店長室の隣の応接室から、次長が久米副執行委員長を呼び寄せて「組合の方はどの位金を用意しているか。」と尋ねたので、同副執行委員長は、執行委員長の申請人八木と相談のうえ、岩永副執行委員長兼書記長、常任執行委員の申請人横尾とともに小委員として応接室に入り、会社側は支店長、次長、吉田経理課長の三名が小委員となつて交渉することとなつた。

右小委員会においても、最初組合側は、やはりスト賃の立替払をして貰いたい旨を要求したのであつたが、会社側より拒否されたため、次第に交渉も金融あつせんの問題に移つていつたのであるが、組合側が「『会社は責仕をもつて組合のため金融のあつせんをする』旨約束すること」を要求したのに、会社側は、「『責仕をもつて』ということは困る。『誠意をもつて』という程度なら約束しても良い。」と主張したので、しばらく論議が斗わされたけれども、結局、組合側が『誠意をもつて』という程度でも良いと譲歩し、同日午後七時半頃「会社は組合のため誠意をもつて金融のあつせんに協力する。賃金支払は十二月十六日退社時間までにすることを原則とする。」旨の協定書を作成して、これに支店長と申請人八木が調印し、大広間において申請人横尾が右協定書を組合員に読み上げて解散した。なお、右小委員会開催中、大広間に居て小委員会の成行きを見守つていた組合員らは、特に騒ぐようなことはなかつた。

(十二月十六日。会社支店は、電産佐賀県支部に金三百十八万余円を融資した)

右協定成立後、鬼丸支店長は直ちに丸毛次長、吉田経理課長と相談のうえ、会社支店において他から融資をうけて組合に貸付けることに決め、これに基いて吉田課長が翌十六日、支店長の義兄にあたる古賀俊郎より金三百二十万円を借りうけたうえ、うち金三百十八万余円を同日昼過ぎ頃、同課長名で申請人八木に交付して組合に貸付けた(会社支店が組合に金三百十八万余円を融資したことについては当事者間に争がない)。又一方、会社支店は同日中にスト賃を差引いた給料を組合員に支払うこともできたのである。

(十二月十七日。申請人八木、同宮田ら組合幹部は、久米寺田両係長の責任追求を行つた)

ところで、申請人八木、同宮田ら組合幹部は、翌十七日、前記のように十三日以来行方をくらましてスト賃差引業務に従事していた久米労務係長及び寺田人事係長に、十三日支店長が出社せずスト対策本部を他に移すについてこれと行動をともにし、以来出社していなかつた古賀営業課長の三名が出社するや、これら三名を組合書記局事務室に呼び寄せ、組合員約百名の取り巻く中で、長椅子に並んで腰掛けさせたうえ申請人八木において、久米係長に対しては、「君は組合の意向に反してスト賃の計算をやつていたそうだが、どう思うか。」寺田係長に対しては「能力給は好きな者にだけつけよる。貴様は酒飲みだ。下駄をはいてはいけないのにお前自身はいて来るではないか。」などと、両係長がスト賃差引業務に従事したことや日常の行状について非難し、古賀課長に対しても同課長が支店長と行動をともにしたことについて詰問し、正午過ぎ頃まで波状的にその責任追求を行つた。その間、他の組合員の中にもこれに応じて「この野郎」「馬鹿野郎」「そんな者は辞めろ」などと叫ぶ者もいた。その後、申請人八木ら組合員は右三名を右組合書記局事務室より新館大広間の庶務課のところに連れて行き、山路庶務課長の前に並ばせたうえ、久米、寺田両係長に対し、「不適任だ。」「係を替る意思表示をせよ。」と要求し、更には、鬼丸支店長をも同所に招いて「久米、寺田の両係長は不適任だから辞めさせてくれ。」と要求し、同支店長が「係長の人事は社長の権限であつて自分には権限がない。なお、適任と思う。」と答えるや、申請人八木は、「支店長が両係長の配置転換をしないならば支店長が組合に融資したことを本店に知らす。」旨を申し向けた。

以上の事実が認められる。

申請人らは右暴行の事実を全面的に否認して、「当時狭い支店長室に多数の組合員が詰めかけたため、混雑し、申請人八木、同横尾らが吉田課長の前まで行く間に、同室の各課長らに無意識のうちに手が触つたことがあるかもしれないが、故意にしたものではない。殊に、当時酒に酔つた大坪林三が詰めかけた組合員を押し分けて支店長室内にちん入し、丁度吉田課長の前に並んで立つていた申請人八木と久米副執行委員長の両肩を後から強く押し分けて、両手を拡げながらどつかりと吉田課長の左隣の空椅子に到れるように腰をおろしたため、その反動で申請人八木は左斜前の同課長の側に到れそうになり、同時に大坪の拡げた右手が同課長の頸部に当つたので、同課長や他の目撃者らはあたかも申請人八木において同課長の首を締めあげたかのような錯覚を感じたかもしれない。また、右大坪については、組合員が直ちに順送りして室外に押し出したのであるが、その際多少の混乱が起つたので、その間申請人らまたは他の組合員の手が吉田課長その他在室の課長達に無意識のうちに触れたかも知れないがこれは決して故意によるものではない。」旨主張するのであるが、右主張に副う前掲甲第三十六号証の三、四、六、同第三十七号証の一、四、同第三十九号証、同第四十七号証の一、二、同第四十八ないし第五十号証の各供述記載部分、証人山下英雄、同津田正芳及び同鍋島胤俊の各証言部分並びに申請人八木昇及び宮田保(第一回)の各本人尋問の結果部分は、乙第五号証の三、同第六号証の二、同第七号証の三、同第八、九第十一、十二号証の各二、同第十四号証の一、二、四ないし八の各供述記載並びに証人山路芳雄、同吉田隆一及び同大坪林三の各証言と対比していずれも容易に信用し難く、また右証人大坪林三の証言によつて真正に成立したと認められる甲第六十八号証も、同証人の証言によると必ずしも記憶どおりに当時の状況を記載されているとは認め難いのでそのまま採用できない、それ故、前記のように認定するのが相当である。

なお、右対比に供した疎明のうち、乙第六号証の二、同第八、九、第十一、十二号証の各二には、いずれも「大坪林三が支店長室に入つて来た時期は暴行後に行われた再協議のための休憩後、組合側が再び入室した際である」旨の供述記載部分があり、この部分は前記認定の事実すなわち「大坪林三が支店長室に入つて来たのは、最初の協議のための休憩後で、申請人らの暴行の直後である」と異なるところであつて信用しえないのであるが、これは、前記認定の事実に、大坪林三の供述記載たる乙第十四号証の一(甲第三十六号証の五と同一内容)、右の供述者ら(吉田隆一、太田松亀内、犬飼貞男、吉丸庄助、広滝源治)の供述記載又は供述たる乙第十四号証の二、五ないし八、証人吉田隆一の証言(これらは前記認定のように供述している)を併せ考えると、大坪林三は、支店長室に時期を異にして二回、すなわち最初の協議のための休憩後で申請人らが告示書を見つけて破棄する前と、申請人らの暴行直後に入つて来たのであり、しかも組合側が吉田課長らにスト賃立替払に関して善処方を要求し再考を促すために前後二回休憩があつたことから、右供述者らが記憶違いして供述したためで、後日これを訂正したものであることが認められる。従つて、右に掲げた各供述者の供述に一貫性がないということのみから、その信ぴよう性を全面的に否定することはできないのである。

其の他前段認定に反する乙第三号証の二、同第四ないし第七号証の各二、三、同第八、九、第十一、十二、第十七号証の各二及び同第三十八ないし第四十号証の各供述記載部分、証人永田藤春、同川辺良一、同久米文次、同吉田隆一及び同鬼丸新(第一、二回)の各証言部分は、いずれも信用できないし、他に以上の認定を左右するに足りる疎明も存しない。

2、そこで、会社が懲戒解雇事由該当の事実として掲げている事実の存否を、以上の認定事実に徴して検討してみる。

Iの業務妨害指令について

申請人らの所属していた電産佐賀県支部が昭和二十七年十二月十三日、支部・アヤメ・ツバメ・五二号をもつて下部各分会に対しなした「各分会ともスト賃業務の出来ざる様会社側を罐詰にせよ。」との指令は、その文言上からみると、被申請人主張のようにあたかもスト賃差引業務を妨害すべく会社側を監禁せよと命じたもののように見える。けれども、前記認定事実に、前掲甲第四十号証の一、同第四十七号証の二、同第四十八号証、乙第二十七、二十八号証、証人岩永正の証言並びに申請人八木昇本人尋問の結果を併せ考えると、電産佐賀県支部は、当時上部機関たる電産九州地方本部より「十五日給料全額支払について徹底的な団交を行え」「全事業所スト中賃金計算並びに差引業務を拒否せよ」との各指令を受けていたので、同支部としても昭和二十七年十二月十二日、鬼丸佐賀支店長と団体交渉を行い、さらに翌十三日にも引続き団体交渉を行うべく待機していたのであつたが、支店長が団体交渉を拒否して出社せずその所在をくらましたため、斗争態勢を一層強化すべく、下部各分会においても徹底的に団体交渉を行うよう要請するため、右指令、支部・アヤメ・ツバメ・五二号を発したものであること、右指令は、斗争指令ではなく一般指令であつて、「罐詰」とは当時組合用語として使用されていたもので、文字どおり罐詰―監禁を意味するものではなく右のように徹底的に団体交渉を行うことの意に使用されていたこと、また右指令を受けた各営業所、発電所分会等においても、所長等を相手方としてスト賃問題について団体交渉を行つた程度で、その間所長その他スト賃差引業務担当者を監禁したという事例はなかつたこと、なお被申請人が業務妨害指令の実証であると主張する三課長監禁というのも、後記のように監禁には該当せず、しかも三課長はスト賃差引業務には全く関係のない者であつたことなどが認められることからすれば、右指令は、用語は穏当でないが、文字どおりスト賃差引業務を妨害すべく会社側を監禁せよと命じたいわゆる業務妨害指令とは認め難く、結局右指令は、電産佐賀県支部が上部機関たる電産九州地方本部よりの前記指令の趣旨を下部各分会に通達したものであつて、何ら地方本部の指令の範囲を逸脱したものではないといわなければならず、他に右認定を左右するに足りる疎明はない。

IIの監禁について

山路、太田、犬飼の三課長が昭和二十七年十二月十三日夜から十五日まで、夜間も泊つて支店に居残つていた事実が三課長を監禁したものであると云いうるかどうかについて考えてみよう。

(イ) まず、三課長が十三日夜支店に居残るようになつたのは、同日午後十時頃帰宅しようと相談のうえ、山路課長において当時支店長室で坐り込みを行つていた申請人ら組合員に帰宅する旨を告げたところ、申請人八木は「なに帰る」と云いながら大広間に出て来て山路課長らの前に立ち塞り、支店長室の組合員に向つて「中の者はどうしているか。早く出て来い。」と怒鳴るとともに、右三課長に対し「大体会社はなつておらん。朝から一人減り二人減り次々に姿をくらまして誠意がない。…………帰つたら承知せんぞ。」と云い、この間申請人横尾、同馬場を含む坐り込み中の組合員二十名位も大広間に出て来て、机と机の間の通路等に立ち、一見ピケを張つたような態勢になつたためであることは、前に認定したとおりである。

しかしながら、前記認定事実に、前掲甲第四十七号証の一、同第四十八、四十九号証、申請人八木昇本人尋間の結果を併せ考えると、電産佐賀県支部においては、会社のスト賃差引が実行されれば全組合員の三分の一近くの者は昭和二十七年十二月十五日支払分の給料支給額が零又は二千円以下の少額になるという状態で、年末年始を控えて組合員の生活をおびやかす事態が発生することは明らかであつたので、同月十二日、鬼丸支店長とスト賃差引問題について団体交渉を行い、更に翌十三日にも引続き団体交渉をなすべく待機していたところ、同支店長が出社せずその行方をくらましたので、同日出社した各課長係長らに要請して支店長の行方を捜し、また「支店長次長が出社するまでは支店に居て貰いたい。」旨をも要請していたのであつたが、支店長の所在が判明しないうちに、スト賃差引業務担当の各課長係長は次々に姿を消し、結局、同日夜に至るまで支店に残つていた会社側の者は山路、太田、犬飼の三課長のみであつたこと、そのため右三課長が帰宅してしまうと、会社側は全部姿を消すことになつて支店長の所在をつきとめるための手懸りを失い、給料支払日までに支店長と団体交渉を行うことができなくなるので、申請人八木、同横尾ら組合幹部は、坐り込みのために来ていた申請人馬場らの組合員とともに、前記のように三課長に対し支店に残留するよう要請するため、前示の行動に出たものであること、その際三課長とこれら組合員との間に二、三の押問答がかわされたが、それも口々に怒鳴つたりして騒ぐという状況ではなかつたことが認められ、この認定を左右するに足りる疎明はないのである。

右のような当時の状況下においては、組合側としては、三課長の帰宅により、支店長の所在をつきとめ支店長と団体交渉を継続する手懸りを全く失うおそれがあつたのであるから、三課長が帰宅しようとした際、一応その帰宅をとがめ、その前方に立ち塞つて支店に残留するよう要請したのは、組合側としては無理もない態度というべきである。それ故、申請人八木、同横尾ら組合幹部が組合員とともに、前記のように三課長の前に立ち塞り帰宅をとがめたのは、同課長らに対して支店に残留を要請する組合員の一致した気持を団結の力で示すためのいわば団体行動ともいうべく、いまだ多衆の威力を示して脅迫したものとはいいがたい。また、申請人八木の三課長に対する前記の発言も多少強い調子のものであつたことは否めないのであるが、それも、三課長の帰宅を一応とがめ残留を要請する趣旨以上のものとは解されないから、害悪の告知たる脅迫文言ということはできない。のみならず、三課長にとつて申請人ら組合員は全く未知の者ではなかつたのであるし、申請人ら組合員が当時特に喧騒したわけではないのである。

従つて、申請人八木、同横尾、同馬場らの行為は脅迫行為ということができないから、三課長が十三日夜支店に居残るようになつたのは、当時同課長らが申請人ら組合員の前記行為によつて畏怖したかどうかを問題とするまでもなく、申請人らの脅迫行為に基くものではないといわざるをえない。

(ロ) 更に、前記認定したごとく、三課長は、十三日夜はストーブのある支店長室で坐り込み中の組合員とともに仮眠し、翌々十五日まで、昼間は新館大広間で過し夜は支店長室で仮眠するという状態であつたが、その間自宅その他との電話連絡は自由であり、組合員が三課長の動静を監視するとか、表門裏門に常時監視員が配置されているというようなことはなかつたこと、ことに、十四日は、組合幹部も支店長次長の行方を捜すため殆んど外出し、坐り込み中の組合員も自由に市内に遊びに出たりして支店内は閑散であつたこと、のみならず、同日には、警察官が来てその身分を告げて争議の状況等につき尋ね、また新聞記者も来て写真まで撮り、その都度、これらの者に救出を依頼しようと思えば依頼する機会があつたのに、何らそのような依頼をしなかつたのである。これらの事実によれば、三課長が十三日夜以来十五日まで支店に滞在したのは、申請人ら組合員が三課長を監視して事実上支店の構内からの脱出を不可能ならしめていたためであるとは到底認め難い。

(ハ) しかも当時果して三課長に明確な帰宅の意思があつたかどうか疑はしい。すなわち三課長が十三日夜帰宅しようとするならば当時の状況下における組合側としては、これを快諾する筈なく、必ずやこれを阻止せんとする態度に出ることはむしろ当然であるから、若し三課長に帰宅の確固たる意思があつたならば、その帰宅をとがめその前方に立ち塞がつて支店に残留するよう要請された程度で中止せず組合側の要請を排して帰宅すべきであつたのであるが、三課長は、右の程度の妨害に会つただけでこれを排除すべく何ら積極的な態度をとつて居らず、また支店滞在期間中ただの一回も帰宅を試みることなく、警察官新聞記者が訪れた際にも何ら救出の依頼をしなかつたのである。それ故、この点においても、申請人ら組合員が三課長を監禁したものと認めることは困難である。

以上要するに三課長を監禁したとの被申請人主張事実は認め難い。

IIIの告示書の破棄について

十二月十五日、吉田課長が告示書を支店長室外側大広間の壁にはつた掲示に対して申請人八木が「おれが責任を持つからそれを引き破れ。」と叫び、申請人横尾が傍からこれを引き破つたことは、前記認定のとおりである。そして、右告示書は、当日が給料支払日であつたのに争議のため平常どおり支店において支払をなすことが困難な状況下にあつたので、会社支店として、その支払義務を果すべく給料の支払場所を佐賀中央銀行松原分室に変更する旨を従業員に了知せしめるため掲示したものであることも前記認定の事実に徴して明らかである。それ故、右告示書の掲示は、会社の給料支払という一業務遂行のために非組合員によつてなされたものというべきであるから、申請人八木、同横尾の右告示書の破棄は、争議中になされたものとはいえ、会社の業務妨害行為であることは明らかである。

ところで、申請人らは、「当時、組合員としてはスト賃を差引かれた給料を受領しないという態度がはつきりしていたので、告示書一枚をはずしても何ら給料支払業務を妨害したことにはならない。しかも右告示書は、会社支店の正規の掲示板に掲示してなかつたのであるから正規の掲示ということはできない」と主張し、前記告示書が主張の掲示板に掲示されたものでないことはその掲示場所自体よりみても明らかなところであるが、掲示板は従業員に掲示事項の内容を容易に了知せしむるため設けられた全く便宜的な手段に過ぎず、掲示板を設けたからといつてそれ以外の場所に掲示され従業員が了知しうる状態に置かれたものが会社の掲示たるの性質を有しないわけはない。これを本件についてみるに、組合側は全力を尽して吉田課長に対しスト賃差引に関する便宜の措置を懇請し、有利な回答を待つているのに、同人が当時の組合員の心情を考慮することなく、一方的に告示書を掲示したのは妥当なやり方とはいひ難く、組合員を憤慨せしめた責任は免れないとしても、吉田課長が右の措置に出たのは当時の情勢より、組合員の要求に副へない会社の方針を直接口答で伝へるときは組合員を興奮せしむるのみで、会社の事務を執行することができないことは明かであると考へたからであり、間もなく組合員が交渉のため支店長室の方に来ることになつていたので、予め作成してあつた告示書一枚を支店長室外側大広間の壁にはつて掲示したものであることは容易に推測できるところであるから、同課長の右措置も一概に非難する訳にもゆかぬ。

それ故、右告示書は、会社の掲示としての効力を有するのであるから、右告示書が正規の掲示板に掲示されなかつたことの故をもつて、組合員(従業員)がこれを自由に破棄しうるということはできない。

また、当時電産佐賀県支部は、電産九州地方本部よりの指令に基き十二月十二日にはスト賃立替払を要求して支店長と団体交渉し、十三日には前記指令、支部・アヤメ・ツバメ・五二号をもつて下部各分会に対し、「会社がスト賃を差引いた給料を支払おうとしたときは全員(差引かれた者も差引かれなかつた者も)受領を拒否せよ」と指令し、前記告示書の掲示直前も吉田課長らに対しスト賃立替払を要求していたのであるから、組合員中スト賃を差引かれた給料であれば、これを受領する者は少なかつたであろうことは推測できるのであるが、スト賃を全く差引かれない組合員もいたのであるから、右告示書が全従業員の権利義務に無関係のものであるということはできないので、右主張は告示書の破棄に関する右判断を左右するに足らない。

IVの暴行について

右告示書の破棄後、申請人らが他の組合員ととも支店長室にかけ込み、申請人横尾が吉田、吉丸、太田の各課長の肩を順次手で突き、申請人八木が「前進のための協議の返答がこれか。」と云いながら、吉田課長の首を両手で押しあげ、申請人宮田が山路課長の上衣のえりをつかんでゆさぶつたのち「警察がこわくて組合運動ができるか。」と云い、申請人馬場が吉田課長の外とうのえりをつかんでゆさぶつた等の所為が暴行に該当することは明らかである。

Vの脅迫について

十二月十五日午後四時半頃支店長次長が支店に到着した後、申請人八木、同横尾、同宮田ら組合執行部員は、支店長、次長ら会社側と支店新館大広間において、申請人馬場を含む約二百名位の組合員が摺鉢状に周囲を取り巻く状況のもとで、団体交渉を始め、申請人八木は「従来どおりスト賃の立替払をして貰いたい。…………」などと約二時間にわたつてしつこく要求したのであるが、その間、周囲の組合員が「馬鹿野郎」「おいこら鬼丸顔をあげろ」などと口々に野次を飛ばして喧騒する中で、「お前には女がある。女と関係しているではないか。我々の要求を拒むならここでばらしてやろうか。」「あくまで本店の既定方針に従つてスト賃を各人の給料から差引くことを強行するなら、今晩家に帰ろうと思つたら間違いだぞ。本当に血の雨が降りますよ。」などと申し向けた等の前記認定所為は、当時組合員がスト賃立替払廃止をめぐつて焦慮しまた支店長の態度に憤慨していたことを考慮に入れても、なお、交渉時の状況、組合員の言辞その他よりして、スト賃立替払ないしは金融あつせんの要求貫徹のため、申請人ら組合員が鬼丸支店長に対しその身体、自由又は名誉に危害を加えかねない気勢を示してなした脅迫行為に該当すると解される(この点については後記3の(2)参照)。

なお、被申請人は、前記暴行後、支店長次長が支店に到着するまでの間における申請人ら組合員の各課長らに対する言動をも脅迫行為に該当する旨主張しているのであるが、前記認定の事実関係のもとでは、いまだ脅迫行為に該当するとは解し難い。

VIの金融あつせん強要について

右脅迫行為がなされた後、組合側の提案により開かれた小委員会において約一間時位交渉がなされた末、支店長と申請人八木との間に、「会社は組合のため誠意をもつて金融のあつせんに協力する。」旨の協定が成立して協定書が作成され、その結果会社支店は吉田経理課長名で申請人八木に金三百十八万余円を交付して組合に貸付けたことは前記認定のとおりである。ところで、これが被申請人主張のように金融あつせん強要に該当するかどうかについて考えてみよう。

なるほど、右小委員会は、前記のようなスト賃立替払ないしは金融あつせんの要求貫徹のため約二時間にわたつてなされた、脅迫行為を伴なつた団体交渉に引続き、組合側の提案により開催されたもので、壁一つ隔てた隣りの大広間には申請人八木、同宮田、同馬場らを始め組合員約二百名が依然待機し交渉の模様を見守つていたことも前に認定したとおりであるから、一応、支店長次長らは、大広間における団体交渉及び右小委員会を通じて、右脅迫行為に基く畏怖状態にあつたのではないかと推測できる。そして、前掲乙第三号証の二、同第四号証の二、三、同第五、六号証の各二、証人吉田隆一及び同鬼丸新(第一、二回)の各証言によると、鬼丸支店長は勿論、大広間における団体交渉及び小委員会に出席した丸毛次長、吉田課長らも、「前記脅迫行為によつて畏怖し小委員会において組合側の要求をれ容ないとどんな事態が起るかも判らないと思つていた。また、スト賃の立替払をなすことだけでなく、支店長が他から金策してこれを組合に貸付け、或いは組合に金融のあつせんをなすことを約束することも、すべて本店よりのスト賃立替払廃止の通牒の趣旨に反するものと考えていた。」旨をそれぞれ述べている。

しかしながら、前記認定の事実に徴すると、小委員会において金融あつせんの協定が成立するに至るまでの経緯としては、組合側は、小委員会においても当初はスト賃の立替払をして貰いたい旨を要求したのであつたが、会社側より拒否されたため、次第に交渉も金融あつせんの問題に移つていつたのであるが、組合側は「『会社は責任をもつて組合のため金融のあつせんをする』旨約束すること」を要求したのに、会社側は「『責任をもつて』ということは困る。『誠意をもつて』という程度なら約束しても良い。」と主張したため、しばらく論議が斗わされたけれども、結局組合側が譲歩し前記のような内容の協定となつたものであること、右協定が成立したのは、小委員会開催より約一時間後のことであるが、その間大広間に居て小委員会の成行きを見守つていた組合員らは特に喧騒するようなことはなかつたことが認められるのであり、右協定の内容をみるに、「会社は、組合のため誠意をもつて金融のあつせんに協力する。」というのであるから、会社としては、金融のあつせんに協力すると否とは任意であり、会社自体が組合に金融するというのではなくて、組合が第三者から融資をうけることについて便宜を計つてやろうという趣旨であり、組合側としては、結局会社側の誠意に期待するほかない不確かな協定といえる。すなわち、協定の内容から云つても、到底会社側に酷な協定とは解されず、むしろ極論すれば組合側の気やすめのために会社側が応じたような内容の協定とさえ云えるのである。しかも、前記協定は、右金融あつせんの条項のみでなく、「スト賃を差引いた給料を十二月十六日退社時間までに支払う」旨をも協定していることは前記認定のとおりである。

なお、支店長、次長らは、前記のように組合に金融のあつせんをなすことを約束することも会社のスト賃立替払廃止の通牒の趣旨に反すると考えていた旨述べているのであるが、右通牒は「十一月二十一日以降十二月五日までのスト賃を十二月十五日支払分の給料より差引け。」というのであつて、スト賃差引に伴う従業員(組合員)の困窮を救うための金融あつせん等をも全面的に禁止している趣旨とは解し難く、金融のあつせん等をなすか否かは支店長の自由裁量にまかされていたものと解されるから、支店長が金融のあつせんに協力したからといつて支店長の責任問題が生ずるとは云い難いのである。

さらに、協定成立後の状況をみるに、前記認定のとおり、支店長は直ちに次長、吉田課長らと相談のうえ、会社支店において他から融資をうけて組合側に貸付けることに決め、これに基いて、吉田課長が翌十六日古賀俊郎より金三百二十万円を借りうけたうえ、うち金三百十八万余円を同日昼過ぎ頃同課長名で申請人八木に交付して組合に貸付けたのである。すなわち、もし、支店長ら会社側が組合の前記脅迫行為によつて現実に畏怖しこれにより自由な意思決定をさまたげられ、会社本店の通牒に反すると充分考慮しながらも前記金融あつせんの協定を締結せざるをえなかつたもので、これが支店長らの意に反したものであつたならば、協定後直ちに警察に告訴するなりして救済の申立をなすべきであつたのにこれをなさず、かえつて協定の趣旨以上の資金の貸付をなしているのである。

以上のことを考慮すると、鬼丸支店長が金融あつせんの協定を締結し融資したのは、申請人ら組合員の脅迫行為によつて現実に畏怖し、これにより自由な意思決定をさまたげられた結果なしたものである、といえるか非常に疑問であり、支店長が現実に畏怖し自由な意思決定をさまたげられた結果の行為であると認めるに足りる疎明もないから、被申請人主張の金融あつせんの強要の事実はないといわざるをえない。

VIIの辞職強要について

十二月十七日、申請人八木、同宮田ら組合幹部が久米労務係長、寺田人事係長、古賀営業課長を組合書記局事務室に呼び、百名位の組合員の取り巻く中でスト賃差引業務に従事したことや日常の行状等について難詰し、その際組合員中に「馬鹿野郎」とか「そんな者は辞めろ」などと叫ぶ者がいたこと、その後支店新館大広間において、久米、寺田両係長に対しては「係を替る意思表示をせよ」と云い、さらには支店長に対しても「久米、寺田両係長は不適任だから辞めさせてくれ。」と申し向け、支店長が「自分には権限がない」旨を答えるや、申請人八木は「両係長の配置転換をしないならば、支店長が組合に融資したことを本店に知らす」旨を述べたことは前記のとおりである。

右申請人八木、同宮田らの所為が両係長ないしは支店長に対する辞職又は転職の強要といえるかどうかについて考えてみるに、前記認定の事実に徴すると、十二月十七日は、すでにスト賃立替払廃止をめぐる紛争が解決していたとはいえ、その翌日であつて、組合員としてもいまだ紛争中の興奮状態がさめずに引続いていたとみられること、しかも組合員は、十三日支店長と団体交渉をなすべく待機していたのに、同日以来支店長次長は勿論その他の労務関係の課長係長ら全員が行方をくらましたのであるから、組合員が支店長ら会社幹部に対し相当の憤懣をいだいていたのは無理からぬことであつたこと(前記暴行、脅迫もその憤懣の一つの現れと理解できよう)、とくに久米、寺田両係長は十三日支店長次長を捜しに行くと云つて支店を出たまま行方をくらまして以来、スト賃差引業務に従事していた陰の立役者であり、十七日に至つてはじめて出社したものであることが認められるから、申請人八木、同宮田ら組合員の前記所為は、もし両係長が十五日にでも出社しておれば前記暴行脅迫の際にでもその憤懣をぶちまけたであろうものを、たまたま両係長は十七日に出社したので同日これをなしたものと理解すべきである。それ故、発言内容に「辞職しろ」とか「配置転換させろ」というような言葉があつたとしても、文字どおりこれを受取ることはできないのであつて、前記憤懣の発露として両係長に対しいわゆるいやがらせをなしたに過ぎず、両係長を辞職又は転職させる真意はなかつたと解するのが相当である。

従つて、申請人八木同宮田らの右所為は、なくもがなのものではあるが、辞職又は転職を強要したものではないといわなければならない。

以上要するに、会社が懲戒解雇事由該当の事実として主張する事実のうち、IIIの申請人八木及び同横尾の告示書の破棄と申請人ら四名のIVの暴行及びVの脅迫の各事実は認めることができるが、其の余はこれを認めることができない。

3、申請人らは右IIIの告示書の破棄IVの暴行及びVの脅迫の各事実は会社側の不当労働行為に対する不満のやむをえない発露であるからなお労働組合法上の正当な行為であると主張するので以下判断する。

(1) 前記1において認定した事実に、原本の存在及びその成立に争のない甲第三十八号証の五(前記刑事事件第一審における受命裁判官の鑑定人吾妻光俊に対する尋問調書)を併せ考えると、会社と電産(九州地方本部管内)との間においては、スト賃は少くとも争議中に支払われる個々の組合員の給料からは現実に差引かないという取扱が相当長期にわたつてなされ、ことに、本件スト賃差引通告前の昭和二十七年五月十五日以降同年十二月一日までし約半年間においては、四回ともその都度差引くべきスト賃の計算はしても差引額相当分を立替えて支払つていたのであつて、右スト賃の立替払が本件労使間における慣行に準じた取扱となつていたと認められなくはないのであるから、組合員としても特別な事情の変化がない限りは、次期に於てもスト賃は立替払がなされるものと期待したのは相当の理由があつたというべきである。従つて、会社が右のような前例を年末を目前に控えた時期に、突如廃止せんとするならば、一応この点について組合と団体交渉を経由すべきであり、また少くとも組合から団体交渉の申入れがあつたときにはこれに応ずべきであつて、争議の対抗策として、かかる手続を経ることなく一方的に廃止する旨の通告をなすことは、労働法上違法か否かは兎も角として少くとも信義則に反した措置との非難は免れえないであろう。そこで申請人らの所属する組合が、その解決策に全力をつくしたのはむしろ当然であり、上部機関たる電産九州地方本部よりの「十五日給料全額支払について徹底的な団交を行え」との指令に従つて、十二月十二日鬼丸支店長と「スト賃差引の件その他」につき団体交渉を迫つたところ同日物別れとなつたので、さらに団体交渉の継続を申入れたこと自体は、組合の団体交渉権に基く団体行動として正当というべきであつて、会社側は正当な理由なくしてこれを拒否することは許されないものと解すべきである。

ところで、鬼丸支店長は、十二日の団体交渉の席上、「スト賃に関しては支店長に権限がないから団交を打切る。」旨宣言し、翌十三日以後支店に出勤せず行方をくらまして、ひそかにスト対策本部を別個に設け、組合の前記団体交渉継続申入れを拒否したのであるが、これに正当な理由があつたかどうかについて更に検討してみる。

まず被申請人は、「支店長にはスト賃に関しては権限がない。」旨主張しているところ、原本の存在及びその成立に争のない甲第十六号証に証人川辺良一及び同鬼丸新(第一、二回)の各証言によれば、電産と電気事業経営者会議及び被申請人会社ほか八電力会社との間の昭和二十六年十月二十八日協定の労働協約第十九条及び同条に関する覚書には「団体交渉の機関とその交渉事項」として被申請人主張(本判決事実摘示第三、二、(一)、(2)、II)のように規定され、団体交渉には双方とも権限ある責任者が代表者として参加することが要求されていること、スト賃の問題は会社本店の所管事項であつて支店長には権限がないことが認められるので、ことスト賃に関しては、支店長は団体交渉に応ずる義務はないかにみえる。しかしながら、支店長は、支店に関する限りいわば会社の窓口ともいえる立場にあるのであるから、支店の従業員(組合員)としては、支店長を通じて賃金その他自己の利害に関する事項につきこれと交渉しうるのであつて、支店長としては、これらの事項につき妥結の権限があるか否かは別として一応誠意をもつて交渉に当り、組合の意向を充分聴取し、また自己に権限がなくともその意見を本店に具申して処断を仰ぐことは可能であるから、自己に決定権がないことは団体交渉の申入れを極力回避する正当な理由とは認められない。

被申請人は、「鬼丸支店長は、十二月十二日の団体交渉において組合の意向を聴き、スト賃に関しては権限がなく、スト賃差引を実施せざるをえない旨を説明したのであり、また当時の情勢からみて、組合と団体交渉を行うこと自体が本店の指示に反する措置を強要されるおそれがあつたから、団体交渉に応じなかつたのである。」旨抗争しているのであるが、支店長らが当時の情勢判断から組合側の不穏な攻勢を憂慮して右のような措置をとるに至つたのは或る程度理解できないではない。がしかし、団体交渉は両当事者が問題解決のため妥当な結論をうるよう誠実になされねばならないのであつて、支店長は十二日組合の団体交渉申入れに応じその要求を聴き自己にスト賃については権限がないことなどを説明したとはいえ前記1に認定したようなスト賃差引に伴う組合員の困窮状態と対比して考えるときは、右十二日におけるただ一回の団体交渉をもつて事足れりとしてその後の団体交渉を一切避け行方をくらましたのは、労使関係における誠実な努力をつくしたものとは到底認め難く、団体交渉を拒否する以外に支店長としては方法がなかつたとも云い難い。

要するに、支店長の団体交渉拒否は、申請人ら主張のように不当労働行為と明白に断定することができないが、その疑の充分ある措置であつたということがことができる。

そこで、申請人ら組合員が支店長次長ら支店幹部に対し強い不満を感じていたことは、前にも見たとおり無理からぬところであり、また支店長らの所在が判らぬまま十二月十五日の給料支払日を迎え、スト賃差引問題に焦慮していたであろうことも充分推測できるところであるから、同日支店において、その日給料支払のため出社した吉田経理課長らに対し、スト賃差引の問題について、十二日の団体交渉におけると同様の要求をして交渉をなしたこと、その際、再考を促して一旦休憩したところ、同課長らが何ら回答することなく一方的にスト賃を差引いた給料を銀行で支払う旨の告示書を掲示したため、これに憤慨して同課長らを詰問したこと、次いで、同課長らに対し支店長次長の所在を追求した結果その所在が判明したので、これを支店に同行したうえ、支店長に対し十二日の団体交渉の継続を強く要求して交渉に入つたことは、一応労働組合の団体交渉及びこれに附随した行為と認むべきである。

(2) よつて、右のうち組合と吉田課長らとのスト賃差引問題についての団体交渉に附随して発生したIIIの告示書の破棄及びIVの暴行、並びに支店長との団交の席上におけるVの脅迫の各行為が、組合の行為として正当なものといえるかどうかを考えてみよう。

IIIの告示書の破棄について

申請人八木、同横尾が告示書を破棄したことは会社の業務妨害行為に該当する。そして、会社の給料支払業務は争議中であると平常時であるとを問わずなされなければならないものであるから、たとえ右告示書の破棄の行為が会社側の妥当を欠いた態度に基因するものであるとはいえ、右告示書の破棄を目して組合の正当な行為であるということはできない。

IVの暴行について

労働組合法第一条第二項但書は、「いかなる場合においても、暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならない。」と規定し、組合の団体交渉その他の行為は平和的に行われなければならないことを明示している。本件暴行もIIIの告示書の破棄と同様、申請人ら組合員が吉田課長らの妥当を欠く措置に基因するとはいえ、前記1において認定した申請人側に有利なあらゆる当時の諸事情を考慮しても、いささか行き過ぎたものと解するほかはない。それ故、組合の正当な行為ということはできないのである。

Vの脅迫について

団体交渉とは、労働者の団体が当該団体又は団体員のために、労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図るため、その団体の団結の威力を背景として、相手方たる使用者と行う平和的手段による交渉であるから、交渉を有利に導くため右団結の威力を示すことは当然許された行為である。しかし、この団結的示威も一般的に社会通念上何人も首肯しうるような平和的且つ秩序ある方法で行われなければならないのであつて、相手方の人格的自由を否認し暴言をほしいままにして、その生命、身体に危惧を感ぜしめるような背景となつた場合には、多衆の威力を示すに至つたものとして到底是認することはできないのである。これを本件についてみるに、申請人八木、同横尾、同宮田ら組合幹部は、申請人馬場を含む約二百名位の組合員が摺鉢状に周囲を取り巻く状況下で団体交渉を開始したのであるが、その席上、支店長の十三日以来の態度について不満を抱いていたとしても、約二時間にわたる交渉の間に、周囲の組合員が前記1に於て認定した如き不穏の言動をなし、しかも、前掲乙第三号証の二、同第四、五号証の各二、三、同第六号証の二、証人吉田隆一及び同鬼丸新(第一、二回)の各証言によると、右交渉の間支店長に対する右脅迫的言辞や野次等に相当長い時間が費されたことが認められるのである。右のような申請人ら組合員の言動は、通常団体交渉の席上においては異常な興奮を伴うため、しばしば手荒な言動がなされたりまた用語も穏当を欠く無礼な言葉が取り交わされがちであること、ことに、本件の場合組合員は年末を控えスト賃差引問題をめぐつて焦慮していたうえに、組合の団体交渉継続要求を拒否して行方をくらますなど支店長に遺憾な点があつたのであるから、申請人ら組合員が支店長に対し或る程度の非難的言辞をろうし喧騒にわたることは無理からぬ事情下にあつたこと、を考慮に入れても、なお社会通念上正当として是認せられうる限度を超えたものと解さざるをえないのであつて、結局右団体交渉においては団結的示威にとどまらず多衆の威力を示してなした脅迫行為と認めるに十分であり、到底組合の正当な行為であるということはできない。

(二)  次に、争議中の行為は懲戒の対象とはならないとの申請人らの主張について以下検討する。

1、懲戒権は、企業秩序に違反した労働者に対して企業からの排除其の他の制裁を科する使用者の権能であり、それは組織体としての企業に内在する準司法的機能として承認せられているものであると解する。現行法制のもとにおいては就業規則に懲戒規定を設けているのが通常である。就業規則は、一般に平常時における労働者の勤務状態を基準として定められたものであつて、これによつて維持される企業秩序も原則として平常時のそれであるということができるであろう。

ところで、前記IIIIVVの各行為は既に判断したところからも明らかなように、電産と会社との大規模な争議中に、スト賃差引問題をめぐつてなされた団体交渉の席上ないしはこれに附随して発生した不当且つ違法な行為なのである。

そこで、右のような争議行為時に生じた行為が懲戒の対象たりうるかについて考えてみるに、争議中に於ては上命下従の関係は否定され、正当な範囲にとどまる限り争議権の行使が許されるのであるから、正当な争議行為が職場秩序違背の理由で懲戒の対象となることはないが、争議行為が暴力の行使其の他違法にわたつた場合は、民事刑事の責任を生ずるのは勿論、それが職場秩序を乱したときは懲戒責任を免れ得ない。換言すれば、争議行為が違法であつて民事上、刑事上の責任を生ずる場合でも、違法であるとの理由のみを以て直に懲戒責任を生ずるのではなく、懲戒責任が生ずるためには違法争議行為が職場秩序の違反、すなわち、業務の正常な運営に支障を来さしめたことを要する。争議中でも会社が業務を営んでいる限り、労働者は組合の団結権の範囲を越え積極的に会社の業務の執行を侵害することは許されない。また、争議はいうまでもなく企業の破壊を目的とするものでなく、自己に有利な労働条件で妥結せんがため、手段としてこれを利用することが許されるのであつて、妥結の暁は労資共連帯的利害の共同戦線に立つて企業の維持発展をはかつて行くことを当初より予定しているものである。

従つて、争議中平常時に於ける企業秩序が一時的に破綻している分野に於ても、争議妥結後企業運営上支障の事由となるような違法行為は、企業秩序の維持上懲戒の対象となると解するのが相当である。

かかる観点に立つて本件を見るに、

IIIの告示書破棄について

給料の支払業務は、争議中でも行われねばならず、この業務執行の分野は平常時におけると同様に企業秩序が維持されねばならないのであるから、申請人八木、同横尾が告示書を破棄し給料の支払に関する事務を妨害したことは直に企業秩序に違反したものとして懲戒の対象となるといわなければならない。

IVの暴行及びVの脅迫について

平常時においては、支店長、各課長らと申請人らとの関係は上下命令服従の関係にあるが、争議中には、その関係は一時的に破綻しているのであるから、右支店長各課長らに対する暴行、脅迫が直ちに企業秩序に違反する行為であるとは解し難い。また、前にも判断したとおり申請人らの右暴行、脅迫は組合活動の正当な範囲を逸脱したものであるとはいえ、支店長、各課長らの不誠実な態度に憤慨した末なされた偶発的なものと認められるのであるから、悪質或いは爾後同様の行為が繰返される可能性が充分あるともいえないので、これらの行為によつて企業秩序の維持に支障を来したとは解し難い。それ故、右暴行及び脅迫を懲戒の対象としたのは妥当でないといわなければならない。

2、従つて、会社が懲戒解雇事由該当の事実として掲げている事実のうち、申請人八木、同横尾両名の関与したIIIの告示書の破棄のみが懲戒の対象となり、他は懲戒の対象とならないのであるから、申請人らのうち申請人馬場、同宮田の両名に対する本件懲戒解雇には、同申請人らの行為が懲戒の対象とならないのに懲戒事由を規定した就業規則第六十二条第一項第五号を誤つて適用した違法があり無効であるといわなければならない。

(三)  そこで、申請人らは、「仮に申請人らの行為が懲戒の対象となり就業規則第六十二条第一項第五号所定の懲戒事由に該当するとしても、懲戒解雇に値しないから、本件懲戒解雇は就業規則の適用を誤つた違法があり無効である。」と主張するので、申請人八木、同横尾が懲戒解雇に値するかどうかについて検討しよう。

前記一に認定したように(申請の理由二の(二)の記載を引用)、就業規則第六十三条は、懲戒の種類として、(1)譴責(2)減給(3)出勤停止(4)懲戒休職(5)懲戒解職(雇)の五種とし、懲戒はその軽重に従つて行う旨を規定しているので、これは、就業規則第六十二条第一項所定の懲戒事由に該当する行為をその情状に応じて段階的に把握し、情状の重いものを懲戒解雇に処し、そうでないものを順次軽度の処分に付する趣旨であることが明らかであるから、懲戒解雇は情状極めて重く、懲戒解雇に処することが社会通念上肯認される程度に悪質なものだけに限るものと解すべきである。

よつて、申請人八木同横尾両名の「告示書の破棄」の各情状について考えてみるに、これまで再三にわたつて述べたところから明らかなように、争議という異常な事態のもとにおいて、しかも年未を控えスト賃差引問題をめぐつて焦慮していた際に、支店長の団体交渉拒否という不誠実な態度、直接的には吉田課長らの措置に憤激のあまりなされた偶発的且つ瞬間的な行為であつて、行為自体としても告示書一枚を引き破つたに過ぎず、その結果業務妨害とはいつても現実に給料支払業務に著しい支障を与えたというわけでもないのである。それ故、申請人らに有利な他の情状について考慮するまでもなく、懲戒解雇に価する程悪質重大な非行ということは到底いえない。

従つて、申請人八木、同横尾に対する懲戒解雇処分は客観的妥当性を欠きいずれも就業規則の適用を誤つた違法があり無効であるといわなければならない。

三、本件仮処分の必要性。

1、申請人八木について

申請人八木は本件懲戒解雇前より衆議院議員の地位にあつたもので、解雇後の昭和三十三年五月二十二日施行の衆議院議員選挙にも当選し現在も同議員の地位にあることは当事者間に争がないから、同申請人が一般職の公務員の最高の給料額より少くない歳費を受けるなど議員として相当の処遇をうけていることは明らかであり、また本件懲戒解雇によつてその社会的名誉、信用等に重大な損害を蒙つているとも認め難い。なお現在、衆議院の解散により申請人八木が議員の地位を失うに至るであろうことを推測せしめるに足りる疎明も存しない。

それ故、申請人八木については本件懲戒解雇によつて著しい損害を蒙つているとは認められないから、本案判決確定に至るまで右解雇の意思表示の効力を停止する必要はないといわなければならない。

2、申請人横尾、同馬場及び同宮田について

被申請人主張のように、右申請人ら三名が現在その所属する九州電労より従来どおりの給与相当額の仮払をうけていることは当事者間に争がない。しかしながら、これは就職による給料ではなく単に組合の好意に基く仮払金であつて、その性質は、申請人ら側よりみれば一時借用金であると解されるから、申請人ら三名の生活関係はなお著しく不安定であるといわなければならない。また、成立に争のない甲第五十六号証、同第五十七号証の一ないし三、同第七十七号証に申請人横尾重雄、同馬場久仁夫及び同宮田保の各本人尋問の結果を併せ考えると、右申請人ら三名は、いずれも会社より従業員たる資格に基いて厚生貸付金、結婚貸付金等の各種貸付金を借りうけていたところ、本件懲戒解雇により弁済未納金を一時に弁済しなければならず、現在、会社より再三にわたつて弁済方を要求されているのであるが、申請人ら三名にはこれに応ずる資力がないため、困却していること並びに申請人ら三名は、本件懲戒解雇により健康保険法の適用から除外されているため、申請人ら及びその家族の疾病等の際に保険給付を受けられないことも認められる。

右のような事情は、本件懲戒解雇が無効であるのに拘らず解雇されたものとして取扱われることによつて申請人ら三名が蒙つている著しい損害といえるから、この損害を避けるため、本案判決確定に至るまで右申請人ら三名に対する本件懲戒解雇の意思表示の効力を停止する必要があるといわなければならない。

四、よつて、本件仮処分申請のうち、申請人横尾、同馬場及び同宮田の各申請は理由があるから認容すべきであるが、申請人八木の申請は仮処分の必要性の存在を認め難いのでこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 大江健次郎 美山和義 竪山真一)

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